THEMEセミナーレポート

Special 1Day(2018年3月11日開催)〈オープニングトーク〉

川村元気
映画プロデューサー/小説家

1979年横浜生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』などの映画を製作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。140万部突破のベストセラーとなり、米国、フランス、ドイツ、中国、韓国、台湾などで出版される。14年、絵本『ムーム』を発表。Robert Kondo&Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化され、全世界32の映画祭にて受賞。同年、小説2作目『億男』を発表。56万部を超えるベストセラーとなり、今年10月、佐藤健、高橋一生出演での映画が公開予定。16年、小説3作目『四月になれば彼女は』を発表する。18年、カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に初監督映画『どちらを選んだのかは分からないが、どちらかを選んだことははっきりしている』(佐藤雅彦らと共同監督)が選出される。

南條史生
森美術館館長

慶應義塾大学経済学部、文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。国際交流基金(1978-1986)等を経て2002年より森美術館副館長、2006年11月より現職。過去にヴェニス・ビエンナーレ日本館(1997)及び台北ビエンナーレ(1998)コミッショナー、ターナープライズ審査委員(ロンドン・1998)、横浜トリエンナーレ(2001)、シンガポール・ビエンナーレ(2006、2008)アーティスティックディレクター、茨城県北芸術2016総合ディレクター、ホノルル・ビエンナーレ(2017)キュラトリアルディレクター等を歴任。近著に「疾走するアジア~現代美術の今を見る~」 (美術年鑑社、2010)、「アートを生きる」(角川書店、2012)がある。

竹中平蔵
アカデミーヒルズ理事長/東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授

ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣を皮切りに、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣兼務、総務大臣を歴任。博士(経済学)。
著書は、『経済古典は役に立つ』(光文社)、『竹中式マトリクス勉強法』(幻冬舎)、『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』(日本経済新聞社)、『研究開発と設備投資の経済学』(サントリー学芸賞受賞、東洋経済新報社)など多数。

- はじめに -

1Dayイベントのオープニングトークは、アカデミーヒルズ理事長の竹中平蔵氏、森美術館館長の南條史生氏と共に、六本木アートカレッジ2017-2018のシリーズディレクターを務めた映画プロデューサー・小説家の川村元気氏が登場しました。
3人の熱いトークセッションは、シリーズのテーマとして掲げたジャンルを超える重要性を主題にしながら、クリエイティビティを追求する際の視点や、アートやクリエイティブな発想を育む教育へと展開します。知識・経験豊富な3人が語る、これからの面白い働き方、伸びやかな生き方について、ぜひご覧ください。

ジャンルを超える瞬間、新境地が開かれる

以前から、アートでもエンタメでもビジネスでも、ジャンルにとらわれない人や、異ジャンルが融合しているプロジェクトこそが面白いと感じていました。また3年ほど前にピクサー・アニメーション・スタジオを視察する機会があったのですが、その時に、この世界的なスタジオが生まれたのは、エンタメ畑のジョン・ラセターとテクノロジー畑のスティーブ・ジョブズという異ジャンル同士が融合したからこそだと強く実感しました。そういった個人的な体験が背景にあり、アートカレッジ2017-2018のシリーズテーマとして「ジャンルを超えて、面白く働き、生きる」を掲げることにしたんです。

アートの分野で「ジャンルを超える」ことについてお話すると、今盛んなメディアアートは、PCなどデジタル機器を使ったテクノロジー系のものと、もう1つは生物工学を駆使したバイオ系のものとがあります。後者は馴染みがない方が多いかもしれませんが、昨年やくしまるえつこさんが世界最大のメディアアートの祭典・アルスエレクトロニカのグランプリに輝いたのは、まさにバイオテクノロジーを駆使した音楽的作品でした。これは、微生物の塩基配列をもとに楽曲を制作し、それをDNA変換して再び微生物に組み込みんだもので、遺伝子組み換えのため、経産大臣の許可を得るといった煩雑なプロセスをすべてクリアした取組みでもあります。音楽とバイオテクノロジーを融合させた本作品がメディアアートで高く評価されていることか分かる通り、ジャンルを超えるというのは、クリエイティビティを高める最も重要なことの1つだと言えるのではないでしょうか。

やくしまるえつこさんは、ロックバンド・相対性理論でデビューし、人気を集めたアーティストですね。当時から、歌詞にはサイエンス要素を含んだものが多い印象でした。自分の歌っている音楽の世界を、そのままアートの世界へと応用した、非常にユニークな方だと思います。

アーティストに限らず、今は広く世間においても、2つ以上の名刺を持つことが一般化しつつありますし、多くの人がそれを望んでいる傾向もありますよね。その一方で、その実現には大きな制約があり、誰にでもできることではないと思っています。
例えば、実業家の堀江貴文氏、通称ホリエモン。彼は何も持たないことで自由を得て、色々なクリエイティブな活動をしています。ただ、それは経済的な制約から解放されているからできることで、誰もがマネできることではないんです。
ですから、経済的な自由を得にくい大多数の人を想定したとき、直ぐに実践できる自由を得る方法、面白い働き方についてもお話しできればと思います。

自分のやりたいことよりも、求められることに委ねてみる

得意な1つのことを追求しようという風潮がありますが、学生のころの私は逆で、得意なことが1つもなく就職活動中は苦労しました。学生時代は、バンドも、映画制作も、バックパッカーも、と満遍なくやっていて、エントリーシートが書きにくかった思い出があります。幸いなこと映画は文芸からアート、音楽と、あらゆるジャンルを包含しているので、そこに居場所を見つけることができました。

川村さんの学生時代ではないですが、経済学者の観点でもこれからの働き方の1つとして兼職を薦めます。最初の1歩踏み出せれば、新しい経験を積むことができ、結果的に本職に活かされるような結合が自分の中で起こり得るんです。川村さんは今でも兼職していますよね。

はい。私は、どうしてそんなに色々な仕事をしているの?と訊かれることがあるのですが、樹形図みたいに仕事が増えちゃったというのが本当のところなんです。で、この「ちゃった」というのがポイントで、ある時から誰かに依頼されたことのほうを面白がってやるようにシフトしたんです。自分がやりたいと思う仕事は、意外に面白くならないと気付いてしまって。現に、やりたいことを実際にやってみると、まあそうなるよね、と想定内に収まってしまい、面白みに欠けるんです。

でも、小説を一度も書いたことがない私への、小説を書いてみませんかという無茶ぶりは、小説の書き方を一から勉強するきっかけになりましたし、映画畑の人間が差別化できるような物語を書くためにどうすればいいのかをとことん考える機会を与えてくれました。小説の無茶ぶりは、結果、映像に映らない世界を描くというコンセプトになって、「世界から猫が消えたなら」という作品として形にすることができました。

私も、若い頃は何がやりたいのか明確には分からなかった。なんとくアートかなと気付いてはいたものの、最初は経済学部を出て、銀行に勤めました。そしたら、やはりダメでした(笑) その後、海外へ留学し、海外で働く機会も得て、色々な仕事を体験するうちに、自分のできないことが分かって、できないことを1つずつ潰していったんです。

できないこと潰し、とも言えますね。面白いですね。

ところが、消去法の果てに残ったものはあったけど、そのことを仕事にする肩書きがなかった。それでも試行錯誤してやり続けた結果、今ではキュレーターと言われるようになりました。

今のお二人の話で、会場の皆さんも多少混乱したのではないでしょうか。私もです。一般的には、言われたことをやるのではなく自分のやりたいことをやれと言われます。でも、自分のやりたいことではなく、与えられた新しいジャンルにトライすることで活路を見出す人もいる。

自分のやりたいことが分かっている人なんて、非常に少ないんじゃないでしょうか。しかし、そうではない多くの人も、かつての私と同じように、なんとなくこれかなと思い浮かぶものはあると思うんです。なんとなくでもあるのなら、一度試してみて、新しい世界を覗いてみろというのが私の考えですね。

私が最近感じるのは、映画を作りたい、美術展を開きたいといった思いの上位概念を持つことが重要ということです。映画や美術展は手段であって、感動させたい、新しい気付きを与えたい、とかの上位概念が不可欠。なぜなら、テクノロジーの急速な発展で、従来決めたジャンルが壊されていく今のような時代に、上位概念こそが強さを発揮していくからです。「Innovative City Forum」で議論を交わす伊藤穰一氏が所長のMITメディアラボは、「Compass over Maps」というスローガンを掲げています。地図はすぐ変わって使えなくなる、羅針盤こそが重要という考えに拠るスローガンだと思いますが、上位概念の重要性はそこに通底するものだと思っています。

どう表現するかよりも、何に気付いているのかの方が重要

東日本大震災のときの、2週間ほど家屋の2階に閉じ込められていたおばあさんと高校生へのインタビューを鮮明に覚えています。無事脱出できたときのインタビューで、その高校生は将来はアーティストになりたいと答えたんです。その後、なぜあの高校生がアーティストになりたいと答えたのか、自分なりに考え、こう結論付けました。

それは、生きることの意味を何らかの形で保全しようとしたときに、人が為そうとするものがアートではないかということ。自分独自のアート、つまりクリエイティビティを追求するということは、自分のアイデンティティをつくる欲望に等しいんです。だから、私にとって上位概念とは、そのアートへの追求や人間の欲望につながるようなものを見いだすことかもしれません。

竹中先生の上位概念という言葉を、時代の気分と置き換えますが、私はその気分がどこにあるのかに非常に興味があります。物語を考えるとき、常にその気分を気にしています。そして、実は一番ヒントをもらうのは現代美術なんです。なぜなら、現代美術は作品を早く創れるものが多く、また世の中の人がまだ気づいていないものに目を向けた作品が多いため、時代の空気を一番感じることができるからです。現代美術から感じたことを言語化し、映画や小説の創作現場ではそれを語りながら、自分の作品に向き合っていることは多いですね。

アートは、いきつくところコンセプトなんです。現代美術においては、結局はコンセプトだからというフレーズが語られることは多いです。元を辿ると、男性用の便器を美術展会場の台座に置いたマルセル・デュシャンがいます。多くの審査員がこれはアートではないと言い放つなか、「これもアートかもしれない。ここには新しいアートの視点があるかも」と説いたんです。言葉遊びに聞こえるかもしれませんが、いかにモノを見るかというところにクリエイティビティの半分はあると思います。

まさに仰るとおりで、どう表現するかよりも何に気付いているのかの方が重要に思います。気づいたものが、映像がいいのか、はたまた小説か音楽かを選んでいるだけで、今後ますます何に気付けるのかの勝負になっていくと確信しています。

アートのもう1つの顔を紹介する上で、ジョセフ・ナイというハーバード大学の経済学者が1990年の論文で語った「アートは、21世紀のソフトパワーである」という言葉を共有したいと思います。実際に、ジェフリーサックスという貧困問題に向き合う活動家は、「いくら活動を続けても誰も注目してくれなかったが、U2のボノが動いたことで世界が動いた」とも言っています。アーティストの力が被災地や課題を抱えるところで活かされるといいなと改めて感じました。

クリエイティビティの教育とは、自分なりの解釈で議論からはじまる

- 参加者との質疑応答 -

Q. 「時代の空気を掴む、クリエイティビティを感じる、といったことは難しく、教員側が理解できないことも増えてきているように感じます。だとしたときに、これからどう伝えていけばいいのか、クリエイティビティと教育についてのお考えを教えてください。」

日本の今までの教育、その問題点は答えを教えようとすることにあると思います。例えば、私が、大学のアートの授業で、先ほどのマルセル・デュシャンの便器のように、1つの作品に対して、こういう見方もあるし、こういう見方もあり得ると、幾つかの解釈を例示したとき、学生は「それではどれが正解なんですか?」と尋ねてきた。そのとき、「どれが正解かを訊くのではなく、君の解釈を言ってみなさい」と聞き返す。なぜなら、それがアートだからです。自分の見解を述べなければ議論は進みませんし、そのことを教えることがクリエイティビティを教えることと同義だと思います。
イギリスの教育者のアート教育の現場を見たことがありますが、彼らも学生から意見を引き出しながらも、自分の答えを明示しません。マイケル・サンデル教授も同じですよね。クリエイティビティを教えるということは、議論をファシリテートすることから始まるのだと思います。

現在、NHKのEテレで「オドモTV」という番組の企画・制作に関わっています。これは、ミュージシャンや俳優、アートディレクターやプロダクトデザイナーが何かを創る番組なのですが、すべての制作物の原作は子ども、というお題を掲げています。ですから、基本的な番組の流れとしては、子どもがアイデアを出し、大人たちがアイデアに気付き、どう応えていくのかを考える、というものです。

ただ実際にやってみると、黙っていても子どもから良いアイデアがたくさん出てくることはないんです。アイデアを引き出すためには、子どもたちに気づきを与えなければならない。好きに踊ってと言っても、観たことのあるようなバレエやダンスにしかならず、どうインスパイアするかが重要なんです。
例えば、振付師のMIKIKO先生は、「今床がすごく熱いよ」という言葉を子どもたちに投げかけました。そうすると、子どもたち各々が床が熱いということを表現するんです。観たことのないような動きがその言葉から生まれたんです。私がそこで学んだことは、自分らしい表現を子どもが実現するために、どう気づきを与えればいいのか考え抜かないとダメだということ。だから、「オドモTV」は、新しい教育とは教える側と教えられる側で気付きが循環するものと捉えている番組企画とも言えるかもしれません。

今の川村さんの話は、ちょっとした非日常を与えるとも言えますね。つまり、クリエイティビティを教育するとは、気づきを通して、今までに刷り込まれてきた観念以外に思考が拓くところに1つのゴールがあるのかもしれません。