THEMEセミナーレポート

VOL.1(2017年6月29日開催)エンタメ × 経済で
面白くする
- ヒットが生まれる時、何が起きているのか? -

エンタメENTERTAINMENT

川村元気
(映画プロデューサー/小説家)

1979年横浜生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』などの映画を製作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。140万部突破のベストセラーとなり、米国、フランス、ドイツ、中国、韓国、台湾などで出版される。14年、絵本『ムーム』を発表。Robert Kondo&Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化され、全世界32の映画祭にて受賞。同年、小説2作目『億男』を発表。56万部を超えるベストセラーとなり、今年10月、佐藤健、高橋一生出演での映画が公開予定。16年、小説3作目『四月になれば彼女は』を発表する。18年、カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に初監督映画『どちらを選んだのかは分からないが、どちらかを選んだことははっきりしている』(佐藤雅彦らと共同監督)が選出される。

経済ECONOMY

竹中平蔵
(アカデミーヒルズ理事長)

1951年和歌山県生まれ。一橋大学経済学部卒業。博士(経済学)。

ハーバード大学客員准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣を皮切りに、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣兼務、総務大臣を歴任。2006年よりアカデミーヒルズ理事長、現在東洋大学教授、慶應義塾大学名誉教授。
ほか(株)パソナグループ取締役会長、オリックス(株)社外取締役、SBIホールディングス(株)社外取締役などを兼務。
著書は、『経済古典は役に立つ』(光文社)、『竹中式マトリクス勉強法』(幻冬舎)、『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』(日本経済新聞社)、『研究開発と設備投資の経済学』(サントリー学芸賞受賞、東洋経済新報社)など多数。

2017年「六本木アートカレッジ」の第1回セミナーは、『君の名は。』『世界から猫が消えたなら』などヒット作のプロデューサー・小説家である川村元気氏と、竹中平蔵アカデミーヒルズ理事長による対談。<エンターテイメント>と<経済>の視点で「ヒットする企画とは何か」を議論しました。できるだけ広く、多くの人を惹きつけるものを創りだすための考え方のヒントが満載です。

同じ企画はしないけれど再現性をつくれるようにヒット企画を後付けで“因数分解”して分析する。

映画や小説のヒットのロジックは、どの時点で後付けの説明が出てくるのでしょうか?

実は、映画がヒットしてから考え始めます。僕は“因数分解”と呼ぶのですが、なぜそれを思いついたのか、なぜそれが色んな人の心に届いたのか、一生懸命分析します。再現性をつくり、人に説明できるようになりたいという欲望があって、なんとかしてそれを言語化します。とはいえ再現性ができても自分では同じことはやらないのですが。

川村さんがそういう考えに至ったプロセスを教えてください。

『告白』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』など音楽と映像と物語のシナジーを追求した映画作りの中で、映画における<音楽>と<ストーリー>と<映像>の3つの組み合わせが、どうなった時にどういうエモーションが起こるだろうと分解して考えるようになっていきました。小説も同様に思えて、組み合わせの瞬間をどう作るか、どういう風に組み合わせたらおもしろいことが起こるか、を考える癖ができました。

なるほど。後からヒットの理由を考えるという話はビジネスの分野でも聞いたことがあります。『クックパッド』をなぜ作ったのか創業者の佐野さんに聞いたら、「人間には笑顔が大事で、笑顔を作るのはやはり家庭の食卓であり、その食卓を笑顔にするためにレシピサイトを作った」と。でも、「そのことは後から考えました」って。だから、そういう意味では一生懸命その場その場でやりながら、しかしそれだけではなくて、ちょっとバルコニーからその時に起きていることを見るような瞬間が必要なのかなと思います。

そうですね。良い寿司屋やフレンチの料理人の料理を食べると、なるほどと思うことがあります。例えばフレンチで、フォアグラに山椒を入れたりしているわけです。何で山椒を入れようと思ったのかと聞いても、何となくですよ、と答えるだけ。それは僕も同じで、何でアニメーション映画『君の名は。』にロックミュージックをかけようと思ったのかと聞かれても説明できないです。今までにない組み合わせだけど面白くなりそうというのは勘で、大失敗する可能性もあるわけです。まずはその勘で、料理で言えばフォアグラと山椒を組み合わせて食べてみて、その後なんども直しながら調整を繰り返すのだと思います。それで美味しい味ができた時に、爆発的なヒットになるということはあるような気がします。ただ、最初にロジックで組み立ててしまうとやっぱりフォアグラに山椒混ぜようとは思わない。そこがポイントかなといつも思っています。

才能があるとしたら他力本願。昔から、頼る人のチョイスが的確だった。

『電車男』を作られた26歳の頃から頭角を現されましたが、川村さんはご自身のことはどう分析されていますか?

ようやく最近自分のことを考える余裕ができ、自分自身を因数分解しているのですが、26歳当時の僕はやはりフォアグラに山椒入れるような若者で、自分が見たい映画しか作っていなかった。ただ、あの時の自分に才能があるとしたら、未だにそうですが、ものすごい他力本願だということです。僕は元々、自分はあるクリエイティブの一部しかできないってことを自覚していて、昔から頼る人のチョイスが的確でした。脚本をこの人に習おうとか、この人と映像を作ろうとか、こういう風なカメラマンに撮ってもらいたいとか。あと自分はきっとここが弱いからこういう人に頼ったら良いのではと、自分の力がないところを理解する力みたいなものがあったのかなと思っています。

今の話もつまりは組み合わせですよね。自分の能力と他の能力の適切なチョイスが大変な難しいポイントだと思います。しかし、川村さんは自身のプロデュースがちゃんとできていたから、26歳の頃から道が拓けてきたという風に解釈しました。

僕は仕事の面では“気の合う仲間”というのはあまり信じていません。気の合う仲間が集まっても考えることは同じだろうと考えてしまうんです。なるべく「こいつ気が合わないけど、考えていることが全然違うからこそ自分にないことに気づくよね」という人と組むようにしています。最初こそストレスがあるのですが、意外とそういう方が決定的なものが作れるところはある気がします。

自分だけが持ち得る視点を見つける。

他力本願以外の才能はありますか?

僕が映画のプロデューサーの仕事を始めた23歳当時、有名な監督が手掛ける、東野圭吾さん、宮部みゆきさんといった有名な原作作品は、40代50代のプロデューサーの担当でした。自分にはコネクションも能力もなくてどうしたら良いだろうと考えた時に、インターネットの中はまだ誰も見てないぞということに気づきました。それからインターネットを意識的に見るようになり、見つけたのが2ちゃんねるという掲示板に転がっていた実話『電車男』でした。後付けで思うと、ロマンティックコメディーの王道とインターネットのコミュニケーションという現代性、秋葉原という美術を掛け合わせたらおもしろいのではないかと、若手なりに攻められるところとして考えた結果なのだと思います。だから、自分だけが持ち得る視点で、そういうことを考える癖は昔からあった。それで、それを応援してくれる仲間を集めるのが得意だったということだったと思います。

ヒットする企画の原則として挙げられた「普遍性×時代性」について伺います。まず、「普遍性」は世代によって随分ばらついており、且つ、時代によって悲しさと嬉しさのウェイトがかなり異なるように思います。そういう微妙な差をどう感じていますか?

僕は世代差を気にすると、作るものがどんどんこじんまりしてしまうと思っていて、世代を超えて重なり合う場所がないか、ずっと探しています。例えば、『君の名は。』がなぜこれほど当たったのかという答えは未だに出ていませんが、あの映画の冒頭は「ずっと誰かを何かを探している、そういう気持ちになることが時々ある」というモノローグから始まります。あのモノローグはティーンエイジャーにとってはまさに今の話だと思います。つまり、まだ出会っていない誰か、恋に落ちるべき誰かにこれから会うのではないか、と。そして、我々大人にとっては、かつてはそういう気持ちになったことがあったと思い出させるフレーズです。

還暦過ぎても新しい出会いがあると思っています(笑)。

基本的に人間がおもしろがるものはどの時代もある程度一定で変わらないですね。ただその上で、その映画がなぜ今存在する必要があるのか、2017年を生きる人とどう繋がるのか、という時代性との掛け合わせが作品の成否を分けると思います。

その「時代性」について詳しく伺います。川村さんが『君の名は。』の中で、時代性を通して描きたかった都会と田舎とはどういうものですか?

そのテーマは新海監督とずっと議論していました。都会と田舎のどちらかだけが綺麗という映画作品はよくありますが、今までどちらも良いよねという話がなかったように思っていました。太陽が沈んだ後の美しい空が広がる田舎だけでなく、東京に来た時の「わぁ、新宿のビルはなんて綺麗なのだろう」と思った感動のどちらも良いよね、と。どちらも良いということを男女入れ替えて表現することに、美術的な大きいテーマがありました。

自分でも理解できない、けれど可能性が広がる。そういう状況を作りたい。

最近、「味の読めない組み合わせ」というのが個人的なテーマになっています。豚肉と生姜と玉ねぎを醤油で炒めたら生姜焼きですけど、絶対美味しいし外さないからこそ、そういうものを作ってもあまり決定的なものにならない気がします。それこそ、今度アニメーション映画化する『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』では、岩井俊二監督という映画界の巨匠と、大根仁という深夜ドラマ出身のテレビディレクター(『モテキ』『バクマン。』等)、そして新房昭之というアニメーションディレクター(『3月のライオン』『魔法少女まどか☆マギカ』等)を、3人同時に脚本の打ち合わせの場に呼んだら何が起こるだろうと集めてみました。もはや実験の領域です。喧嘩するのではないか、話が噛み合わないのではないかと思っていたら、ものすごい発明がそこで生まれました。

確かに、“生姜焼き”ではないですね。

はい。やはり“ファワグラに山椒”じゃないですが、山椒を混ぜるのは意味不明な方が良いと思います。だから、『君の名は。』でRADWIMPSのロックミュージックをアニメーションにミックスするのも、最初は失敗するかもと思いながらやっていましたが、実は、自分がヒヤヒヤしているということがとても大事だと思います。

それは、なぜですか?

なぜなら、やはり人間は複雑な生き物で、次にこういうことが起こります、と想像できると、絶対泣いてくれないし笑ってくれない。「えっこんな風になるの?」とか「そう来たか」っていうことで泣いたり笑ったりする生き物なので、作り手自身が大体こういう味になるだろうとか、こういう展開になるだろうとか分かっていると見透かされちゃいますね。だからこそ、自分でも理解できないけど新たな可能性を生む状況を作りたいと思っている。作りながら適切な調整をかけることで何とかしていきたいなというのが最近のモードです。また、同じように可能性を生む状況として、自分が新人になれる新しい領域を探して、緊張感をもって仕事をし続けたいとも思っています。

今の話はリスクとリターンの関係と似ていて、ある程度のリスクと建設的な緊張関係がないと新しいものは生まれてこない。日本はどうしても同質的なものだけ集まって穏やかな気分だけで終わってしまう。それに対してリスクをとるということを、私たちの日常生活でも求められているのかなといつも思います。