THEMEセミナーレポート

Special 1Day(2018年3月11日開催)〈集中力とマインドフルネス〉

太田雄貴
国際フェンシング連盟 理事/公益社団法人 日本フェンシング協会 会長

1985年11月25日生まれ。平安中学・平安高校(現:龍谷大学付属平安中・高校)、同志社大学出身。小学校3年生からフェンシングを始め、小・中学と共に全国大会を連覇。平安高校時代には史上初のインターハイ3連覇を達成。高校2年生で全日本選手権優勝。
2008年北京オリンピックにて個人銀メダル獲得。2012年ロンドンオリンピックにて団体銀メダル獲得。2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たすなど、数多くの世界大会で優秀な成績を残す。4大会連続となる2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場。
2016年には日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟 理事に就任。同年に現役引退。2017年6月、日本フェンシング協会理事に就任。2017年8月、日本フェンシング協会会長に就任。2020年の東京オリンピックに向けて、日本の顔として日本フェンシング界を牽引している。

石川善樹
予防医学研究者/(株)Campus for H共同創業者

広島県生まれ。東京大学医学部卒業後、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして研究し、常に「最新」かつ「最善」の健康情報を提供している。専門分野は、行動科学、計算創造学、マーケティング、データ解析等。
講演や、雑誌、テレビへの出演も多数。NHK「NEWS WEB」第3期ネットナビゲーター。
著書に『最後のダイエット(マガジンハウス)』、『友だちの数で寿命はきまる(マガジンハウス)』など。

- はじめに -

北京およびロンドンオリンピックの銀メダリストであり、現在は国際フェンシング連盟理事や日本フェンシング協会会長、さらには日本アーバンスポーツ支援協議会の副会長と活動の幅を広げている太田雄貴氏。マイナー競技ゆえの葛藤や、銀メダリストだからこその悔しさは、引退後に活躍する原動力になったようです。人生に大義を持ち、恐怖と好奇心で集中力を高め続ける太田氏の働き方、生き方を、予防医学者で(株)Campus for H創業者の石川善樹がマインドフルネスや様々な科学研究というフィルターを通して分析します。

ジャンルを超えて活躍する原動力は「No.2」であること

太田さんは様々な活動を同時並行されていますが、現在一番興味を持っていることは何でしょうか。

僕の今のポジションは日本フェンシング協会の会長で、その活動に一番時間も労力も費やしています。と言うのも、東京オリンピック招致によって様々な課題が起こっていて、大学など各団体との調整事項が盛りだくさんです。

なるほど。ちなみに、フェンシングはどこの大学・地域が強いんでしょうか。

法政大学が強いですね。そういう意味では、関西出身で、同志社大学卒の僕がオリンピックに出ることができたのは相当イレギュラーなんです。

でも、結果的にそれが良いのかも知れませんね。今年のアートカレッジのテーマが「ジャンルを超える」ですが、人は既存のフレームの中で生き続ける人と、そのフレームを超えて生きる人とで分かれます。最初から自分が強豪校にいると変に自覚していたら、むしろ思い切ったことはやりにくかったのではないですか。

そうですね。僕の場合は、大学以前に、フェンシングを選んだ段階で、まわりは野球やサッカーですから、どう生きるべきかは考えていたように思います。実際、子どものころは、フェンシングの白いユニフォームというだけで、モジモジ君ってバカにされたり、滋賀県出身なのでブラックバス釣るの?って。それフィッシングですよね、みたいな(笑)。当時はそれが辛くて、僕の大好きな競技をバカにしやがって、と思っていました。だから、幼い頃からマイナーとして生きていくにはどう他と差別化すべきかということをよく考えていました。

世界のフェンシング界でも日本はマイナーですよね。

仰る通りで、もう全然相手にされていません。採点にも影響があります。アジア人は必ず「銀」までしか獲れない。ヨーロッパ発祥のスポーツなので、どこか贔屓はあります。それを国際舞台で目の当たりにして、一体ルールは誰が作っていて、誰が決定権を持ち、どうジャッジングするんだろうという視点でフェンシングに向き合うようになり、フェンシング界の風向きをちょっとずつ変えたいと思ったんです。例えば、審判と仲良くなること。どんなにミスジャッジをされても審判には文句を言わないと決めて、むしろ観客が可愛そうだと思うような落ち込み方をして見せました。また、流暢な英語をマスターするのではなく、敢えてぎこちなく振舞って笑いに変えて、親近感を感じやすい空気をつくりようにもしました。マイナーなりの工夫を少しずつ重ねていました。

人って流行や権威にすぐなびきがちなところがありますが、マイナーはマイナーなりの強みを活かそうじゃないかということですね。ところで、金メダリストと銀メダリスト、引退した後どちらのほうが社会的に活躍するかを調べた研究があります。

非常に興味深いですね。

答えは銀メダリストです。活躍する度合いの順番でいうと銀、銅、金です。だから人生の金メダルは銀メダルなんですよ。金を獲ってしまうと、もうその分野でしか生きざるを得ない雰囲気になりますよね。銀メダルの場合、敢えて他の分野にもチャレンジしやすい。

銀メダルの人はやはり何かやり残しているんですよ。トーナメント方式の場合、銀だけ最後に負けていますから。表彰式での表情を見れば歴然としていますが、銀が明らかに一番暗くて金と銅が笑顔なんです。

コンプレックスとかやり残したことをずっと貯め続けている人間のほうが、結果面白い人生になるのかもしれないですね。そうするとあまり早い段階で大きな勝利経験をしてしまうのは考えものかも知れません。ナンバー2の時代ですね。

パッションの語源は受難。受難が情熱を駆り立て、創意工夫を引き出す

東京オリンピック招致の時は大変でしたか。「トウキョウ!」と言われて、泣きながらガッツポーズをするあの感慨深い表情を見ると、発表の瞬間までに熱い想いを積み重ねてきたんだろうなと感じましたが。

そうですね。道のりが長かったというのも大きいですね。五輪招致という大義があることに関わりたいと思っていましたが、そもそも、招致活動のオリンピアン枠は1つなんです。しかも、金メダリストがわんさかいる。まずは招致委員に選ばれるところから、戦略的に活動してきました。結果的に、銀メダリストの私が委員に選ばれ、招致を実現できた。それが、涙として溢れたんでしょうね。

太田さんの働き方を知る上でヒントになりそうなので、どのように戦略的に動かれたのか教えてください。

戦略性の前にまず主体性があると思います。日頃から自分で意義を見つけ、目標を立てて行動するように心掛けていました。いままでメダルを獲ったスポーツ選手が一気にスター扱いされ、自分から主体的に動かなくなるところを見てきましたから。だから、オリンピック招致はほぼボランティアで、高額なギャラではなくても、五輪を招致することに自分なりに見出した意義は大切にしていました。

また、戦略的という意味では、招致委員会で最初にやったリハーサルで、私は完璧な原稿のもと練習を重ねて、プレゼンしたことがあげられるかもしれません。初回のリハーサルにも関わらず、あまりに自信満々にプレゼンしたので全員に失笑されてしまいましたが(笑)。ただ、そのとき1人だけ評価してくださった方がいたんです。それは招致委員の外部コンサルタントのニックさん。今回東京に決まった要因の1つは外部コンサルタントを採ったことだと思っていますが、その彼が「君たちが2016年に招致レースに負けたのはこういう努力を笑うからだ」と毅然と言ったんです。「誰も日本人に流暢な英語だって求めていない、東京でやりたいというパッションだけだ」と。その一言で、一瞬で私に追い風が吹いたように感じました。

別のカンファレンス時には、当時副会長のバッハさんに積極的に話しかけたんです。ニックさんがその様子を見ていて、「あいつアスリートなのに営業もできるのか。これは貴重だ」と。もちろんそれだけではないと思いますが、最後のプレゼンターに僕を選んでいただいたんです。

「パッション」という言葉が出ましたね。情熱と訳されることが多いですが、本来の語源は「受難」なんです。受難を乗り越えるからこそ情熱があらわれる。今までのお話を聞く限り、太田さんの人生はそういう意味では受難続きですよね。だからこそ創意工夫をせざるを得なかった。ここまでマイナーなところからのし上がってくるために、何を大事にされてきましたか。

「水は絶対上から下にしか流れない」。この原理原則を組織運営でもビジネスでも意識しています。つまり、下流のほうがマネタイズしやすくても、上流をまず取りにいくというのが何よりも重要。例えば、僕は国際フェンシング連盟の理事をやっていますが、連盟の会長はアリシア・ウズマノフという多方面に強大な力のあるロシア人です。彼と競う理事会はもうたまりません。背筋が凍ります(笑)。今まで連盟は全員イエスマンで固めていたので、「東京オリンピックでこういうことがしたい」と僕みたいなアジア人が会長に食らいつくことはこれまで無かった。僕は臆せずに提案を続けるため、もちろん怒られはするけれど、珍しがられるのか結果的に気に入ってもらえています。上流を狙うからこそ、新しい活路を開くことができているんだと思います。

「因果」よりも「因縁」の人生のほうが広がりがある

この世には、「因果」の世界で生きている人と、「因縁」の世界で生きている人の2種類がいるとも言えます。「因果」の人は明確に成し遂げたいことがあり、そのためには何が必要かと目的から逆算していく。逆に、「因縁」の人生は、出会ったご縁からいろいろ広がっていく。本人もどこにたどり着くかは分からない。今までのお話から察するに、太田さんは「因縁」の人生の人だなと感じます。

たしかに。実は、僕は料理を通じて交友関係が広がりました。どんなに偉い人でもおいしいご飯の前では皆楽しくしてくれるんですよ。アンジャッシュの渡部さんやV6長野さん、ジモンさん等は一緒にご飯を食べに行く親しい仲です。石川さんの言うところの「因縁」ですね。

一方、スポーツは一般社会と違って、時間軸やルールが設定されていて明確な答えがありますよね。オリンピックの金メダルはある種バリバリの「因果」です。金メダリストが次のキャリアに進みにくい一番大きな理由は、因果で生きているがゆえに次の因縁に行きづらいから。だから、目標に向かって逆算することも重要ですが、私はそれ以上に大事なのは目標を設定する力だと思います。もっと言うと、状況に合わせて新たに出てきた目標を自分の目標だと思える力。

太田さん自身も引退後は迷われましたか。

はい、今も迷子ですよ(笑)。毎日悩んでいます。ただ、日本フェンシング協会の会長に就任できたことは幸いでした。明確な制限がある方が、いろんな発想がたくさん出てきますし、新しい目標を立てられるとも思いますね。

自由すぎると逆に難しいですよね。よく「巨匠は制約の中でしか生まれない」と言われます。スウェーデンの友達によると、彼らは国家の規模が小さいこともあり、それぞれの国民が最適の場所で輝いてくれないと、国家として世界でやっていくのは厳しいという考えのもと、自分の人生を自分で決めないそうです。自分は何に向いているかを他の人に一度決めてもらって、その中で頑張るらしい。すごく新しいなと思いました。日本だと進路が自由すぎて、自分の人生どこでどうしたら良いのか全然分からない迷子が続発しやすいように思います。

高い「集中力」は人への好奇心や恐怖、大義から生まれる

太田さんが、職業や国境、それこそジャンルを超えて多様な人と仲良くなれるのはなぜでしょう。

僕、変態ハンターなんです(笑)。ユニークな個性を持った人への好奇心が強く、そういった人とのご縁を大切していたら自然と先ほどお話したような料理好きコミュニティができたという感じです。

仕事や人間関係について集中力が活きていると感じることはありますか。そもそも、ご自身の集中力についてどう思われていますか。

集中力は長くは続きませんね。それこそ、フェンシングは3分やって1分休みというインターバル系スポーツなんです。だから3分なら持つのですが、1日ずっと同じペースで仕事をするのは苦手。メリハリがないとダメなんですよ。自分の集中力についてはちゃんと理解できていると思いますし、仕事にも活かせているように感じます。

冒頭の営業の話もそうですが、太田さんはここぞという勝負のときにグッと集中力が増すんですね。自分の中にスイッチがあるのでしょうか。

もちろん僕も話しかける直前は緊張します。それでも、オリンピックを絶対に持ってきたいんだという強い気持ちと、アジア人の僕がいきなりバッハさんの所に行くと、どんなリアクションするんだろうという好奇心が強かったです。

なるほど、恐怖心と好奇心ですね。恐怖だけだと行けないと思いますが、そういう大義とか、変態的な人へ惹かれる好奇心が、集中力を生んでいるんですね。

「マインドフルネス」がリスクを克服しジャンルを超える後押しに。

マインドフルネスは最近出てきた概念ですが、自分を客観的に見つめ、今自分に何が起きているのかということをモニタリングするという意味です。太田さんは競技生活で自分自身をどのように客観視していましたか。

フェンシングは、電子審判機が光ったものを審判がジャッジします。すなわち主観的に戦う競技でありながら、審判により見せやすいようにやらなきゃいけないので、俯瞰視や客観視も必要なんです。だから今自分がどう見られているのか、その立場については強く意識していました。例えば、2015年に世界チャンピオンになったとき、一番大きいタイトルなので、普通の選手は歓喜で大暴れするものです。しかし、僕はその時、世界フェンシング選手会の会長だったので、僕の振る舞いがひとつの指標になると思って、派手なことはせず相手に礼をもって接しました。

選手である以上に、選手会長である自分を意識なさっていたのはすごいですね。今の話を聞いて、リスクを乗り越えて活躍できる人はどういう人か、という研究を思い出しました。活躍する彼らの共通点は「結果から考えない」ということ。金メダルを獲るんだと結果から考えると、人は障害が多く考え込み、一歩踏み出しにくいものです。しかし、結果ではなく、この瞬間に自分はどう振る舞うべきかという目の前のことだけを考えると、リスクを乗り越えやすくなるようです。客観的な視点を持ち、目の前のことだけに集中できるマインドフルネスな人は、ジャンルやいろんなリスクを乗り越えて活躍しやすいんです。では、現在、太田さんは何者であるという意識で生きていますか。

今は日本フェンシング協会の会長ですね。会長職を引き受けた理由は、日本のスポーツ団体を変えたかったからです。フェンシングはマイナーオブマイナー。このマイナーなフェンシングの課題をテクノロジーで補完するために、オリンピック招致の時に一緒に仕事をした電通の菅野さんやライゾマティクスの真鍋さんとプロジェクト立ち上げて、プロモーション動画を作りました。

そして、フェンシングの競技人口を増やすために、僕は会長として、ルールを変える側、作る側に回りたいと思っています。ただ、僕も含め日本人はルールを守るのは上手いけれど、作るのは下手ですよね。だから、それを学ぶために、スケートボードやBMXなどのアーバンスポーツを司る日本アーバンスポーツ支援協議会の副会長を務めて、これから立ち上がるスポーツにコミットして、シーンのつくり方を学んでいきたいと思っています。

フェンシングだけでなくスポーツ界の景色を変えるんだというのが、太田さんの存在意義なんですね。

はい。スポーツはもっと自由でいいと思うんですが、日本の場合オリンピック至上主義が強すぎる。色んな人が色んな形でスポーツの価値を実感できればいいなと思っています。最近スポーツ界で起きているいろいろな問題も出るべくして出ていると思います。親御さんたちが子どもにスポーツではなくアートやプログラミングの世界へ進ませたくなるのも自然なことですよね。スポーツ界は良い人材をしっかり採るために、もっと自分達で努力しなければいけないと思います。

私は今日、太田さんとのお話を通じて重要なことを2つ学んだ気がします。1つは、大義とは自分が何者であるかを理解するということ。自分はどう振る舞うべきかと考えていくと、自然とジャンルを超えていくのだなと思いました。もう1つは、ジャンルを超える時、課題は大きい方が良いということ。その方が恐怖もある分、緊張感ただよう面白さもあるんですよね。