THEMEセミナーレポート

Special 1Day(2018年3月11日開催)〈クロージングトーク〉
ジャンルを超えて生きる
〜TOKYOを面白くする〜

MIKIKO
演出振付家

ダンスカンパニー「ELEVENPLAY」主宰。
Perfume, BABYMETALの振付・ライブ演出をはじめ、様々なMV・CM・舞台などの振付を行う。
メディアアートのシーンでも国内外で評価が高く、新しいテクノロジーをエンターテインメントに昇華させる技術を持つ演出家として、ジャンルを超えた様々なクリエーターとのコラボレーションを行っている。

大根仁
映画監督/映像ディレクター

1968年12月28日生まれ、東京都出身。
映像ディレクターとして、数々の傑作ドラマ、PVを生み出す。演出を手掛けた主なテレビドラマ作品に「演技者。」(02年/CX)、「ヴァンパイアホスト」(04年/TX)、「週刊真木よう子」(08年/TX)、「湯けむりスナイパー」(09年/TX)、「モテキ」(10年/TX)、「まほろ駅前番外地」(13年/TX)、「リバースエッジ 大川端探偵社」(14年/TX)など。2011年には、深夜ドラマの劇場版となる『モテキ』で鮮烈な長編映画デビューを飾る。以降、映画作品として『恋の渦』(13年)、『バクマン。』(15年)、『SCOOP!』(16年)、『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』(17年)で脚本・監督を務める。17年7月より金曜ドラマ「ハロー張りネズミ」(TBS)の脚本・演出を手がける。8月公開の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』にて実写・アニメーションを通じて脚本のみを初めて手がける。2018年『SUNNY 強い気持ち・強い愛』監督・脚本を務めることが発表される。

川村元気
映画プロデューサー/小説家

1979年横浜生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』などの映画を製作。2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。140万部突破のベストセラーとなり、米国、フランス、ドイツ、中国、韓国、台湾などで出版される。14年、絵本『ムーム』を発表。Robert Kondo&Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化され、全世界32の映画祭にて受賞。同年、小説2作目『億男』を発表。56万部を超えるベストセラーとなり、今年10月、佐藤健、高橋一生出演での映画が公開予定。16年、小説3作目『四月になれば彼女は』を発表する。18年、カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に初監督映画『どちらを選んだのかは分からないが、どちらかを選んだことははっきりしている』(佐藤雅彦らと共同監督)が選出される。

- はじめに -

Perfume、BABYMETALの振付・演出から、リオオリンピック・パラリンピック閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニーの総合演出まで、幅広く活躍するMIKIKO氏。『モテキ』や『バクマン。』など、多数のドラマ・映画・ミュージックビデオの脚本・演出を手掛ける大根仁氏。六本木アートカレッジ「SPECIAL 1 DAY」クロージングトークでは、最新のテクノロジーを取り入れるなど、既存のジャンルの概念にとらわれずに極上のエンターテインメントをつくりあげるお二人を迎え、旧知の間柄だという川村元気氏の司会進行のもと3人に熱く語っていただきました。本セッションレポートでは、TOKYOのエンターテインメントのキーマン3人の視点を通じて、ジャンルを超えたクリエイティビティがどう生まれるのか、そして2020年オリンピック開催で注目される「TOKYO」はエンターテインメントの力でどこまで面白くなるのかを紹介します。

映画 『モテキ』から始まった3人の関係

この3人の出会いは『モテキ』という映画なんです。大根さんが監督、僕がプロデューサーでやっていて、森山未來くんが「Baby cruising Love」というPerfumeの曲を踊るシーンの振り付けをお願いしたのがMIKIKO先生でした。すごく覚えているのが、MIKIKO先生のレッスンが結構スパルタだったこと(笑)。

大人数のシーンで、Perfumeが出る前のミュージカルシーンはダンサーじゃない一般のエキストラの人たちもいましたからね。そういう人たちを含めた大人数を相手に振り付けをするのは初めてだったんじゃないのかな。映像でやったのは少なくとも初めてでしたか。

そうですね。プロのダンサーやダンススタジオに通っている子を大人数の舞台で振り付ける、っていうことはあったんですけど、演技を挟みつつやるのは初めてでした。

最初に会ったときは、MIKIKO先生超かわいいと思ったんですけど、レッスンが始まったら超怖くて(笑)。

あはは(笑)。未来くんがストイックなんですよね。細かいところもしっかり揃えたいって言ってくれたので、自然とストイックにやったのかもしれないですね。

そのあと、MIKIKO先生は森山未來くんとも仕事をやるようになりましたよね。僕も大根さんと『バクマン。』という映画をつくったので、ひとつの仕事をきっかけにいろいろな角度で仕事が増えていきました。

東日本大震災によって、自分の仕事に向き合わされた

ちなみに忘れちゃいけないのが、今日はちょうど3月11日なんですけど、『モテキ』は2011年に撮影されたんですよね。

2011年の4月末にクランクインしました。3月11日は、まさに準備真っ最中っていう感じでしたね。

あのときは、エンターテインメントのイベントや、フェスがどんどん中止になりました。僕たちも、女の子にモテてどうこうなんていう映画をつくっていいのか、みたいなことは話し合いましたよね。

最初に揺れたときは、ちょうど助監督と打ち合わせをしていたんですけど、揺れを感じながら「10月公開の映画だけど、この映画なくなるかもしれない」って瞬間的に思ったことは今でも鮮明に憶えています。でも、次の日に話した川村くんは、わりあいすぐ「今はこういう状況で、きっと大変なことになると思うけれど、半年ぐらい経ったら絶対にエンターテインメントが必要になってくるから、この企画は絶対やります」と語ってくれたんです。ちょっとかっこいいなと思う半面、弱気になっていた自分が恥ずかしくなりました。それで前向きになって、よしやってやるぞ!という気持ちになりました。実は、それまで脚本も決まらず、ラストがどこに向かっていくのかも曖昧でした。ですが、「この先、エンターテインメントが絶対に必要になる」という言葉に押されて、もうハッピーエンドにしようって振り切ったんですよね。

そうでしたね。エンディングが変わりましたよね。

エンディングも変わったし、そもそも心構えが変わりました。

私はミュージックビデオの撮影をしている真っ最中に揺れて、照明が上にあって危ないから、まず安全な場所に逃げました。次の日、撮影を続行するかどうかで意見が割れました。難しいジャッジだったんですけど、結局それまでに撮ったものを編集して頑張ろうということになりましたね。ライブツアーが既に決まっていたんですが、ライブ業界的に電力を使うのはどうなのかという議論もありました。様々な議論を経て、LED画面は使わずプロジェクションだけでできる演出を新たに考えて、いかに省エネできるかをテーマにライブをつくりましたね。

あのときはみんな、自分のやっている仕事に向き合わされましたよね。

特にエンターテインメント業界は、電気と密接な関係にあるジャンルだからね。

バカなふりをして言うことが大事

MIKIKOさんはテクノロジーとも組み合わせていろいろやっている印象ですけど、実際はヒューマンパワー派ですよね。そこは、一般的なMIKIKOさんのイメージとちょっと違うのかなって思うんですが。

私はテクノロジーを前に出したいというよりも、「VSテクノロジー」みたいなところがありますね。テクノロジーと対峙したときに人間が勝つところを見せたい。

すごく面白い解釈ですね。それは昔からそうなんですか。

そうですね。それこそテクノロジーの後ろにいるプログラマーの人間性をも感じられるような作品をつくりたいという気持ちは、ずっと前からあります。

最近はどういうテーマで活動されているんですか。

PerfumeとかBABYMETALなどのライブ演出と振り付けは引き続きやりつつ、「ELEVENPLAY」というダンスカンパニーの自主公演で米国ツアーに注力しています。今後は、残る作品を創ることと、日本にわざわざ観に来たくなるような舞台作品を創ることが目標ですね。実は、10年前にニューヨーク留学中の夢がELEVENPLAYのような舞台をつくることでした。当時、ニューヨークで夢を叶えられなかったという想いが今もあり、その夢にもう一度向き合うことがこれからの原動力になっているように思います。

実は、僕も先日のELEVENPLAYの公演を観に行かせていただきました。東京ドームシティに特設のステージを組んでいて、舞台で踊っているダンサーから最終的にホログラフィ状の光のダンサーが現れるなど、演出面に圧倒されました。そうした新しい演出のアイデアはどうやって思いつくんですか。ダンスからのアプローチ、それともテクノロジーからのアプローチでしょうか。

最初に、倉庫を借りて実験する日があって、今回のテクノロジーはこういうことができますよと説明いただきます。それから作品にしていくんですけれど、ストーリー性がないと、ダンスがただのデモになってしまうので、私はストーリーをつくります。今回の場合、そのストーリーを基に、ダンサーが光のダンサーと共演して、最後は光のダンサーを閉じ込める演出に仕上げました。

アイデア出すのも難しいし大変だけど、アイデアだけじゃ作品にならない。むしろ思いついたアイデアを具体化させる作業のほうが力量が問われる。でも、一番やりがいがあるのはそこだと思いますね。

今まで、わりと無茶なことを言って、無いものを準備してもらうことが多かった。だから、バカなふりをして言うことが大事なのかなって思ってるんです(笑)。

わかります。思いついたアイデアって、なんとかすれば大抵できちゃうんですよね。いろいろな人に迷惑はかかるけど(笑)。

東京ってなんだろう?

東京オリンピックが近いですが、東京ってなんだろうとか、日本ってなんだろうっていうところから考えなきゃいけないんだよなっていうのは最近思っています。

僕も、宮藤官九郎さんが脚本で、オリンピックがテーマの2019年の大河ドラマに関わるんですけども、日本や東京について考えることが多いです。

このドラマは、明治時代に日本ではじめてオリンピックに出た金栗四三さんと、1960年の東京オリンピックをつくった田畑政治さんの二人を通じて、日本人にとってのオリンピックを描くものです。それはすなわち、東京を描くことにも等しいんですよね。

僕自身、東京は好きだしずっと東京に住んでるし、ほぼ東京を舞台にした映画しか撮っていないので馴染みがあります。ただ、今まだリサーチ中なんですが、歴史をここまで細かく振り返るのは初めてなので、大変だけど非常にやりがいがあって面白いんです。江戸から始まったこのまちが、何度かのトピック、事件や天災、戦争があるたびに生まれ変わって、そのたびにどんどん強くなっているっていうのが面白い。

MIKIKOさんも海外公演していますよね。どうしても日本人であることや東京らしさみたいなものが求められると思うんですけど、そこらへんにはどう向き合っていますか。

実は、そこにはあまり向き合わないようにしています。海外に行ってはじめて、私たちの作品が東京っぽいって言われるんだってわかったぐらいです。具体例をあげると、3年ぐらい前からPerfumeにしろBABYMETALにしろELEVENPLAYにしろ、海外公演をするようになりました。電子音に乗せて女の子がハイヒールを履いて細かい振付を涼しげに踊るとか、メタルサウンドに合わせて少女達が全力で体を使って踊るとか、それに対して映像や照明がシンクロしているということが、海外の人は手品を見ているように感じるみたいで、それがまさに日本っぽいとか東京っぽいとか言われます。

僕もジャンルは違えど、東京を撮るときは東京タワーとか雷門とか、いわゆるランドマーク的なものは絶対撮らないんです。自分たちがリアルに接して暮らしている東京は、もっと細かい生活に根ざした部分じゃないですか。日常の中にあるものが東京だと思うので。

ランドマークじゃなくてその横の路地裏のほうが美しくて、そっちに目がいったりしますよね。たぶんそういうことを丁寧に見つけていく作業が必要なのかもしれないですね。特に東京の個性はかなり複雑でたくさんありますよね。映画監督のヴィム・ヴェンダースが『東京画』という映画を撮ったときに、カプセルホテルや蝋細工をひたすら撮っていて、こういうのを見落としがちだなって思わせられました。

本当は複雑なのに、表向きは引き算してみせる美学みたいなところが、東京っぽいんだと思います。

世界のアスリートを世界に全力で紹介することが日本らしい五輪

- 参加者との質疑応答 -

Q. オリンピックでは東京っぽさだけじゃなく、日本っぽさも出さなきゃいけないと思うんですが、みなさんが考える日本人らしさや日本の個性とは何でしょうか。

1回目の東京オリンピックや長野オリンピックの時は、海外仕様のホテルをあえてたくさん造ったそうです。だけど2020年は、いかに日本らしいおもてなしができるかを念頭に考えて準備が進んでいるという話を耳にしました。そういう意味では今回こそ、肩に力をいれずに自然体でできるのかなと思っています。

あと、オリンピックはスポーツの大会なので、東京の自慢や日本の自慢をしてもしょうがないかなと。むしろ日本がどうやって世界の人たちを世界へ紹介できるのかに注目したいし、そうすることが日本らしい気がします。例えば日本人が全力で最新のテクノロジーや身体能力を駆使して表現すれば、自然に日本っぽくなると思うので、なるべく肩の力を抜いてつくりたいと思っています。

Q. これからテクノロジーが進んでいく時代において、エンターテインメントはどう変わっていき、むしろどう変えていきたいのかを伺いたいです。

最近一番気になっていることは、世界や日本、東京が、今どういう気分なんだろうかということ。インターネットで何でも検索できるようになったけど、みんな未だに初詣に行くしお守りが捨てられない。むしろ、なんでもできるようになった分、目に見えないけれど確実にそこにあるっていうものの価値が相対的に上がっている気がしているんです。そういう時代の気分みたいなものを、物語やエンターテインメントにできないかなって思っています。

僕はきっちりした撮影現場で育ってきたわけでもないし、映画理論みたいなことを勉強してきたわけでもなく、ほぼ勘と経験でいろいろなものをつくってきたんです。それはこれからも変わらず大事にしようと思っています。でも映像業界は日進月歩で、VFXにしてもカメラ機材にしても、どんどん新しいものが普及して、人がいなくてもいいぐらいのところまできています。そんな中で人間にしかできない、役者にしかできないフィジカルをどう表現するか、ということはすごく考えています。

フィジカル担当なので、同じような話になるんですけれども、誰でもテレビに出られて誰でも映像がつくれる時代だからこそ、エンターテインメント・芸事を生業にしている人たちが原点回帰する必要があると思います。ひとつのことに気が狂うほど集中して、いかに魂をこめてつくるか、そして見ている人の想像力を掻き立てられるかが課題ですね。私自身、仕事を減らしてでも昔からの夢に立ち返ろうとしているのは、芸事に対して正面から立ち向かわないと、絶対に今の人たちには伝わらないと思っているからです。よりピュアになっていくことが大事なのかなと強く感じながら、活動していますね。