医学とコミュニケーションデザイン。一見あまり関係なさそうな2つの分野を研究する医師がいます。横浜市立大学先端医科学研究センター コミュニケーション・デザイン・センターでセンター長を務める武部貴則先生は、医学にアートなどの新しい視点を取り入れることで、生活者の行動変容などを促すコミュニケーションデザインを推進されています。
医学は再定義されるべき――そう語る先生に、実際の取り組みやアートの力が拓く新しい医療の可能性を語っていただきました。
そもそも医学や医療――英語で「Medicine」は2000年以上前からある言葉です。辞書の定義に基づくと「Medicine is the science and practice for disease.」、つまり最初に病気があって、それに対して科学と実践をもって治療するという意味になります。
ここで私が今の仕事に就く原体験となった出来事を紹介させてください。私の父は30代後半に脳卒中で倒れ、9割の確率で死亡すると宣告されました。もし生き残れたとしても、ほぼ間違いなく後遺症が残るため、社会復帰は難しい、と。
しかしラッキーなことに、父が倒れた現場が病院のすぐ近くだったため、初期治療が迅速に施され、結果的には生き残ることができ、社会復帰もして現在も不自由なく生活しています。
この経験により、私は2つの気づきを得ました。
1つは、1人の患者が救われることは、患者とその家族に非常に大きなインパクトがあること。もし父が亡くなっていたら、私はおそらく中学を出て働きに出なければならなかったでしょう。今の自分がいるのは、あのときに病院の先生方が患者=父を救ってくれたからに他なりません。
もう1つの気づきは、とはいえ医師が患者さんにできることは、非常に限られているという点です。私の父の場合、病気が表面化したのは倒れたタイミングでありますが、医師はそのタイミングを知る由もなく、そしてその時にしか治療を施すことができないのです。さらに倒れた場所がたまたま病院に近いか否かによって、その患者の命、ひいては家族の生活が大きく左右されます。まさに天任せなのです。
一方、私の父は毎年健康診断で「高血圧」と指摘されていましたが、酒やタバコを節制しない、日々の生活を改善することができない人でした。私の父と同じような方は多いのではないでしょうか。
脳卒中や心筋梗塞のような病気は、高齢者が罹ることが多いのが特徴です。しかし多くの疾患は、20〜30年ほどかけて徐々に血管がボロボロになり、身体中の血が固まりにくくなったり、出血しやすくなったりして、発症に至ります。発症前の段階で何とかしなければ、このような病気に罹る患者は減らないのではないか。私は父の病気をきっかけに医学を学ぶにつれ、そう考えるようになりました。
医学(Medicine)は病気に対して科学をしようという考え方ですから、そもそも発症以前を診るための体系は医学部に存在しません。これを何とかするためには、もはや「医学」を再定義・再発明していく必要があるのではと考えるようになったのです。
みなさんには、病気の質が劇的に変化していることを、まず認識していただきたいと思います。
1950年代までは、現在でいう「感染症」と言われる、菌やウイルスによる病気がほとんどでした。これには抗生物質や抗ウイルス剤を処方するような医学が必要でした。
しかし今、死因のトップ3は、ガン、高血圧に起因する脳卒中、心筋梗塞のような、長い時間をかけて身体が変化した結果、突発的に発症する病気に変化しています。これまで対処してきた医学の歴史からすると、病気の質は非常に大きな転換を遂げているといえるでしょう。
従来の医学に基づく、健康かどうか? 病気かどうか? 治療するか否か? という判断基準では、先ほどの例に挙げたような「病気未満」の人は救えません。従来の医学にはない考え方が必要かもしれない。これが今日の一番のポイントです。社会が劇的に変化する中で、医学も進化し、新しい価値を生み出していく必要があるのではと考えているのです。
もう少し具体的に見ていきましょう。
これまでの医学や医療は病気中心、すなわち「Disease-centered」の考え方でした。しかし、1人の人間をみると、病気か否かというような二択ではなく、生きていく中で断続的な身体の状態変化があることがわかります。つまり、もっと大きな「生きる」という文脈の中で、医療が人とどう向き合うかを考えなければなりません。したがって今後、病気中心ではなく、人や人の生活や人生を中心に据える「Humanity-centered」という考え方にシフトするのではないかと考えています。
これまで医学部では、工学部と連携して人工臓器を作るなど、さまざまな協働を図ってきました。これに留まらず、「Humanity-centered」の医学という文脈の中に、工学だけでないメディアやクリエイター、テクノロジー分野の人もいる――それぞれが密接に絡み合うような複雑な分野間連携が必要になってくるのではないでしょうか。
そして、これまで医師主導で病気に対して医療を提供してきましたが、最終的にこの役割がさまざまなコミュニティに分散していくのではと考えています。「健康はあなたの問題」という時代から、教育機関や職場、所属している団体とともに、その人を見守っていくような体系に転換していくべきなのではと、非常に強く思っています。
私たちはこれまで、「病気」という具象に対してだけ、科学と実践を持って対処するという医療を行ってきました。人生100年時代を迎える今だからこそ、これを全く新しく作り変えていく必要があるのではないか? というのが私の仮説です。
人間性に重点を置き、想像から課題解決の方法を見出していく――まずは妄想からのスタートでもいい。世の中にあるものや技術を提供することで、皆さんにもできることが必ずあるはずです。
ここまでお話してきたことを推進するためには、コミュニケーションをデザインすることが重要ではないかと私は考えています。私は10年ほど前から、新しい医学を定義していく活動を続けてきましたが、昨年その拠点として横浜市立大学先端医科学研究センター コミュニケーション・デザイン・センター(YCU-CDC)を発足しました。
YCU-CDCは医学の研究機関に属していますが、デザイナーやアートディレクターなど、さまざまな分野の方にアドバイザーとして入っていただいています。私たちだけでは何もできないので、多くのクリエイターや企業の方々に支援していただきながら、新しい「コトづくり」をしているのが現状です。
そのうえで今、私たちの研究や事業展開を「4i frame」という形で考え方をまとめようとしています。これは先ほど申し上げた通り「誰にでもできる、妄想や想像から始まる医療」であることが重要です。
みなさんに「もしかしたら、これを使えば解決できるんじゃない?」と思っていただく(imagine)。それが今あるもので形にできるのであれば良いですが、そうでないならば目に見える形で発信し、社会提起します(inspire)。このプロトタイピングのフェーズからさらに、産業パートナーを巻き込み(involve)、社会に実装していく(install)という、事業にまで展開することで、医学や医療の再定義をしていきたいと思っています。
本日のテーマである「アート」の視点から、例を考えてみましょう。
運動不足を解消するために何かできないか? というテーマに対し、駅の動線をエスカレーターから階段にするという、日々の生活行動を変えることで実現しようと考えたとします。
例えばトリックアートの階段を作るのはどうでしょうか。トリックアートを見るためには階段を上らなければならないようにします。これによって「健康のために上る」という文脈ではなく、「アートを見たいから上る」というようにモチベーションをデザインできることになります。
あるいは会社員の方には、階段を上るとその日のニュースキーワードが分かる「メディア階段」のようなものも有効かもしれません。
これをビッグデータ解析し、階段を「処方」することで、1日どれくらいの人が階段を使うようになったか実証することもできます。このような事例を「社会に届ける」ことが非常に重要です。この数カ月間、さまざまな発信を続けるうち、少しずつ取り上げていただけるようになってきました。
ただ、それだけでは個別の事例に過ぎません。これを継続化するためには、パートナーとなる外部のプレイヤーを巻き込み、最終的には持続可能な形に仕上げていく必要があります。持続させていくためには、仕組み化が必須です。
私は「医療の文脈でHumanityまでみる」という定義を明確にすることで解決できるのではと考えています。私の勤めるシンシナティ小児病院では、エクスペディアやP&Gなど、たくさんの企業がマーケティングやCSRの一環として、患者さんの生活部分をサポートしています。日本でも定義を明確にすることで、サポートしてくださる企業が出てくるかもしれない――そう考えているのです。
従来の医療は非常に狭い範囲を診ていました。そんな中でも医療×アートの事例は少しずつ生まれていますが、素晴らしいことを単発でやっても、社会は変わりません。
なので私たちは「新しい医療」自体を考えていきます。
YCU-CDCを、みなさんが我々のところで一緒に仕事をしたり、我々がみなさんの役に立ったりできるような起点にしていきたいと考えています。
私たちは今後も医療を再発明し、Humanityのための医療を目指して活動していきます。
アメリカでは「人の生活を見守る」というコンテクストにお金を出しやすい構造があります。日本では「株価のためにどれだけメリットがあるのか?」などマイナスのアセスメントが増えてしまう傾向があります。
したがって、ある物事に対してマイナス面だけ見てリスク判定をするのではなく、企業も個人も、まずは何ができるかを考え、そのポジティブな側面を考え抜く必要があります。そのうえでリスク判定をする――順番を変えるだけでも、新しいイノベーションが起こせるかもしれないと考えています。
私は横浜市立大学先端医科学研究センターのコミュニケーション・デザイン・センターでセンター長をしています。かつ東京医科歯科大学と、アメリカにあるシンシナティ小児病院も兼務しております。
今日は横浜市立大学での私の取り組みを紹介しながら、みなさんと一緒に次の医療のパラダイムを考えていければと思います。
まず皆さんに考えてみていただきたいことがあります。
もし、あなたの子どもが非常に重い難病に罹り、病院で一生涯を送ることになった場合、どのようなことができるでしょうか。一般的には薬の投与や手術が考えられますよね。
しかし僕自身が行っているのは、従来の臨床医学に頼らない方法論の開発です。
例えば、肝臓が難病に侵された場合に、培養皿で全く新しい肝臓を作り出し、患者に移植できないか? という可能性を模索します。
私は再生医療の分野で、最近は「ミニ臓器」という言葉を使いながら、難病の患者さんに新しい治療法を届けられるように、研究をしています。これが私のミッションの1つです。
もう1つの研究テーマであるコミュニケーションデザインについても紹介させてください。
私の勤務するシンシナティ小児病院は、さまざまな企業と提携しています。例えば旅行会社のエクスペディアが行ったマーケティングキャンペーンがあります。同社の社員の中にいるガンのサバイバーたちが世界中を旅して、現地から中継できる3Dモニターを病院内に設置しました。
白血病などの重い病気になってしまっている患者の中には病院の外に出ることができず、一般の子どもであれば体験する文化祭や部活動、社会科見学などができません。外の世界とのコネクションがゼロのまま生涯を終えるケースが非常に多くあります。
しかしエクスペディア社の取り組みによって、患者さんたちは外の世界に擬似的に触れることができます。
このような視点は、もしかすると新しい医療の考え方のベースになるかもしれない――そう考え、10年ほどこの分野の研究をしています。