六本木アートカレッジ スペシャル1DAY
セミナーレポート

伝統産業の新たな価値

山口周
独立研究者/著作家/パブリックスピーカー
Profile

1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。

堀木エリ子
堀木エリ子&アソシエイツ代表/和紙作家
Profile

京都府出身。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。
これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。
以後、「建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマに、オリジナル和紙を制作。
和紙インテリアアートの企画・制作から施工までを手掛ける。
近年の作品は「東京ミッドタウン日比谷」 「パシフィコ横浜」「在日フランス大使館大使公邸」 「成田国際空港第一ターミナル到着ロビー」のアートワークの他、N.Y.カーネギーホールでの「YO-YO MA チェロコンサート」の舞台美術等。
主な受賞に、日本建築美術工芸協会賞、インテリアプランニング国土交通大臣賞、日本現代藝術奨励賞、京都創造者賞/アート・文化部門など。
近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

Overview

西洋化が進み、身近に和紙がある生活を送る人は少なくなっています。和紙を使った革新的な空間を演出する作家として世界で注目されている堀木氏に、和紙に従来の枠を超えた新たな価値を見出し、現代に意味づけることについてお聞きし、これからの日本にとって伝統工芸が持つ意味について考えました。

1300年も続く「紙漉き」という営み

山口 六本木アートカレッジスペシャルワンデー5時間目のセッションは和紙作家の堀木エリ子さんをお迎えし、伝統産業の新しい価値についてお伺いしたいと思います。

堀木 私達は「建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマに活動しています。つまり、光と影や、照明器具を駆使しながら、和紙を環境として使っていただく提案をさせていただいております。たとえば、わずか1㎝の厚みで光る最先端のLEDを使って額装した和紙では、光の加減で和紙の表情が随分変わりますので、そういったことが「移ろい」を生み出します。そして、移ろう空間が情緒や情感といったものに繋がっていくのです。紙を漉くときには季節による水や繊維の状態によって偶然性が発生しますので、そういった偶然性が人間の力だけでは生み出せないような素晴らしいデザインを生み出してくれます。私が100%「こんなデザインにしよう!」と思って手を動かすと良い物にはならなくて、大体3割ぐらいの偶然性と、7割の人の作為がバランス良く噛み合った時に、本当に人の力だけでは生み出せない素晴らしい表情が浮かび上がってきます。一方で、アクリルの表面に和紙を貼ったり、破れない、燃えない、汚れない、変色しない紙を作る、あるいは精度を上げるといったことに取り組まない限り、和紙が現代に役立つ物にはならないので、和紙を綺麗に漉くだけではなく、「技術開発」も駆使しながら新しい和紙の表現をしています。

山口 堀木さんの作品はテクスチャーと言うのでしょうか、情報量の多さが際立っていて、惹きつけられるものがありますね。堀木さんは、元々銀行の窓口のお仕事をされていたそうですが、美大のご出身ではありませんよね?

堀木 はい、そうですね。全くの素人でした。まず私は銀行員で窓口係をしていたのですが、二十歳を過ぎた頃にディスコで出会った名物おじいちゃんから、「僕の息子が今度、京都に新しい会社を興すんだけど、君、銀行員だったら、事務や経理は出来るだろ? 息子の会社を手伝ってやってくれ」と言われたのです。わずか4人ぐらいの小さな会社でしたが、そこが、たまたま手漉き和紙の商品開発の会社だったのです。デザイナー達が「産地に紙漉きに行く」と言うので、何にでも興味がありましたから、一緒に付いていきました。冬だったので雪が多くて、寒い道を行きますと工房がありました。ちなみに、紙漉きにはトロロアオイという樹液を使うのですが、この樹液の特性で、温度が高いと安定した紙が漉けないので、工房の中には暖房を入れません。そのため、外より工房の方が寒いのです。小さな窓があるだけで薄暗い工房で紙を漉いていらっしゃいますので、冷たいというよりは痛いと感じる水で、外の寒さと体温の差で、体から湯気を上げて、手を肘まで紫色にパンパンに膨らませながら、白い息を吐きつつ作業されていました。私は1つ1つの技術が素晴らしいかどうかということは、その時は全く分からなかったのですが、その職人さん達の姿を見た時に、なんと尊い営みなんだろうと思いました。このような環境の中で、真摯に物作りに向き合って、これが1300年間伝えられてきたということに衝撃を受けました。その後、こういう仕事に関われて大変良かったと思いながら仕事をしていたのですが、なんと、その会社が2年間で閉鎖に追い込まれてしまいました。なぜかというと、どれだけ素晴らしい和紙の商品を開発しても、半年後には和紙に似たガラス繊維や樹脂の繊維で出来た類似品が発売されて横に並ぶからです。機械で出来た類似品は安いですし、手漉きの和紙は高いので、結局価格競争に負けてしまいます。このようにして、職人さん達のあの尊い営みが無くなっていくのかと思った時に、自分で何とかするしかないと考えたのが24歳の時でした。

「堀木エリ子展〜和紙から生まれる祈り〜」
撮影:淺川敏

「和紙と光のアート展」
撮影:淺川敏

「堀木エリ子の世界展〜和紙から生まれる祈り〜」
撮影:松村芳治

物作りの根底にあるのは「祈り」と「機能性」

山口 なるほど、行動力にあふれていると言いますか、普通、ディスコに行って、人から「うちの会社を手伝ってくれ」と言われても行かないと思うのですが、そこから先というのは、まったくの素人でどのように広げていったのでしょうか?

堀木 ほとんどの人から反対されたのですが、聞いてみると反対の理由は1つでした。つまり、私が大学でデザインを勉強してない、ビジネスを勉強してない、職人のところで修行さえしてない、だからできるはずがないと。そこで、私は原点に戻って、物作りとは一体何なんだろうと考えてみました。縄文時代や弥生時代まで遡ったら、埴輪や土偶がありますよね。あの素晴らしい造形は誰が作ったのか、と考えたら、狩りにも行って、畑も耕して、子供も育てていた、一生活者が作ったわけです。当時、埴輪専門学校などというものはありませんでしたし、土偶作りを教えてくれる大学もありませんでした。それにもかかわらず、あんなに素晴らしい造形が時代を越えて私達を感動させているということは、物作りにおいては、人間はみんながクリエイターなのではないか、と。では何故その埴輪や土偶が作られたのかというと、自然に対する畏敬の念であったり、命に対する祈りの気持ちから皆が手を動かし始めたのです。それから、水が溜められるとか、お米が入れられるとか、そういう機能や用途が付加されて、人の役に立つ物になっていった。私はそれを和紙に置き換えたのです。現在は、消防法という法規があって、燃える物はビルの中に入れてはいけないと言われますから、どれだけ素晴らしい和紙を漉いても役に立ちません。子供がいて破られるとか、ペットがいて汚されるとか、そういった不安があったら使えないわけですよね。それならば、燃えない、汚れない、破れない、色が変わらない、精度を上げる、という事に取り組んで、今の時代の要望を満たす物にしていかなければ役に立たないのだと気が付きまして、そこから本当の仕事が始まりました。機械で作られた代用品が出てくる時代ですから、どうすれば役に立てるのかと考えた時に、手漉きの和紙の良さ、機械漉きとの違いをきちんと自分で見出さなければいけません。その違いの1つは、手漉きの和紙は使えば使う程質感が増すということです。機械漉きは劣化していきますが、手漉きの和紙は長く綺麗に、より一層深みが増していくのです。もう1つは、手漉きの和紙は使っても使っても強度が衰えないということ。それならば、レターセットやポチ袋、ラッピングのような1回楽しんで捨ててしまうものに使っても意味がないわけです。では、長く使う土俵とはどこなのか、と考えた時に、建築インテリアだと気づきました。せっかく光を通して表情をつくれる物なので、太陽光線や照明器具を一緒に使う事で移ろいを生み出す。障子に代表されるような、日本人が感じていた情緒、情感が生み出せるような環境を作ればよいのではないか、と。そこから今のように、建築空間に特化していったということになります。

※音が出ます

新しいものを生み出すことに専念する

山口 伝統産業の中にいる人達は、自分達なりの価値の認識の仕方があって、良い物なのだという事をある種、場合によっては言葉がきついですけれども、偏屈に守っていて、それゆえ新しい事を認められずにどんどん先細っていくということが結構あると思います。そこに堀木さんのように全くの門外漢だった方が突然やってきて、「いや、このままだと駄目だと思う」なんて言ったら、当然反発を受けたのではないかと思うのですが、そこはどのように乗り越えていきましたか?

堀木 当初は本当に職人さんに嫌われていましたね。しかし、職人さんに新しい事をしてくれと言うこと自体に無理があると、その時に思ったのです。ですから、職人さんには紙を漉くという事だけしていただいて、新しい事は私達がするという仕分けをしました。伝統産業を未来に繋ぐという仕事は越前で行う。そして、新しい革新を起こして技術開発をするという事は京都で行う。そういう風に二分すれば、仕事の方向性が分かりやすくなりました。

山口 とはいえ、建築素材としての和紙などというものは、今まで誰も考えていなかったわけですから、作る側だけではなく、売り込みに行った先でも簡単には受け入れられないですよね。最初はどんな所に行かれたのでしょうか?

堀木 女性2人で始めた仕事でしたので、営業もしながら物も作るというのは難しいわけです。そこで、東京で展覧会しようと思いつきました。六本木のアクシスギャラリーで様々な方が素晴らしいアート展示を展開していらっしゃったので、そこで自分たちも展覧会をしたいと思って行ったのですが、当然、難しい顔をされます。しかし、著名な人しか扱わないギャラリーならば、著名な人にお願いして、大きな和紙を使った展覧会をしてもらえば、大きな和紙の存在が知られるのではないかと。それで当時、インテリア部門からは内田繁さん、インダストリアル部門から喜多俊之さん、グラフィック部門から鹿目尚志さん、建築部門からは葉祥栄さん、それぞれのジャンルの先生方にお願いして、アクシスギャラリーでまず展覧会をしたというのが、最初のワンステップでした。やはり和紙は質感が大切なので、写真や映像では伝わりにくい部分が、実際に会場に足を運んでいただくと伝わるという事もありますし、非常に重要な展覧会だったと思います。そこからは、取材に来てもらって知っていただくことが、より幅広い人達に知ってもらうための手段だと思い、結局、興味を持ってもらうためには、常に新しい表現をし続けて、常に新しい考え方で、新しい和紙の魅力を知っていただく活動をしていないといけないということになりました。だからこそ、革新を大切にする開発型の会社になったわけですね。

伝統産業の価値は、その歴史や背景を伝えること

山口 ところで、今年のアートカレッジで焦点となっているのは「役に立つ」と「意味がある」の対比なのですが、和紙そのものは、どちらかというと意味が物凄くあるものだったものの、建築資材という文脈でいうと役に立たなかったわけですよね。そこに、堀木さんは意味的な価値はきちんと残したまま、建築資材としても役に立つという領域に上げてあげたということなのかなと思いましたが。

堀木 元々障子や襖は建築の素材としてあったわけですから、そういう意味では昔の人達が知恵を絞った日本の美学であり、シンプルで美しい姿というものは、既に実現していたわけですよね。私の場合は和紙に光を介在させたという事が新しい提案です。そして、その価値という事に関しては、和紙の存在そのものよりも、和紙が人にとってどのような意味を持っているかということが大切だと思っています。これは職人さん達の精神性に関わる話なのですが、職人さん達は白い紙が神に通じると考えています。言い換えると、白い紙が不浄な物を浄化するという考え方です。実は現代人もそれを日常の慣習として使っています。例えばお札をお祝いやお礼で人に渡す際に裸で渡しません。必ず祝儀袋やポチ袋に入れます。これは白い和紙ですよね。つまり不浄と言われているお札を、白い紙でくるみ込んで、浄化してから人に差し上げるという行為なのです。ですから職人さん達は、より白い紙、より不純物が無い紙を1300年の間、高めてきたわけです。そういう職人さんの精神性が、結局、日本のおもてなしの美学であったり、日本人の感性に繋がっています。そういった物の背景にある意味合いみたいなものを伝えていく事が大事なのです。今生きている私達が、和紙の技術や和紙を伝えるというよりは、その和紙を通じて背景にある日本人が積み上げてきた美しさや精神性というものを、どのようにして伝えていくか。私はそこが価値だと思っております。

山口 なるほど、とてもよく分かります。それから、ここは全日本的な課題だと思うのですが、非常に素晴らしい物作りの技術があるにもかかわらず、今の経済システムの中では存続させるのが難しい伝統技能や工芸があるわけです。堀木さんはそこを逆転させる事に成功した事例だと思うのですが、1つ鍵になっているのは、海外への販路の拡大ではないかなと。そして、そういった際には海外の人に意味的な価値をきちんと語れないといけないわけですが、海外にプレゼンテーションする時、気を付けていらっしゃることはありますか?

堀木 和紙という「モノ」としてのプレゼンテーションをしない、ということですね。私の仕事は、和紙を介したこちらの空気感、向こう側の気配を作ることであって、海外の人にとって、私が作る和紙というのは「移ろいが表現出来る新素材」なんです。そして、その新素材が持っている背景、つまり日本の文化を知ってもらうことが重要です。単に和紙を売るということが私の仕事ではなくて、精神性や日本人の美学についての素晴らしさを、和紙を介して知ってもらうことが私の仕事だと思ってプレゼンテーションをしますので、通常の和紙を売るということの説明とは違うと思います。

伝統産業を愛し、先端技術と繋ぐ架け橋が必要

山口 もう1つお伺いしたいのが、職人さんについてです。例えば、ヨーロッパだと職人というのは素晴らしい物を作って、社会に価値を生み出して、リスペクトされて、それにふさわしい経済的な対価を得ていると。しかし、日本は職人の価値が中々認められず、生み出している価値がきちんと還元されるという事が出来ていないように感じるのですが。堀木さんはこの職人の地位をどのように上げたらよいとお考えですか?

堀木 コラボレーションがとても大事だと思います。職人さん達には和紙を漉く技術をかっこよく未来に繋いでいただきたいと思うのですが、一方で、技術を上手く利用して、新しいものとコラボレーションさせながら結び付けていくことが重要。今の時代にふさわしい、そして人の役に立つようなものを考えられる人が、色々なものを引き寄せて1つの塊にしていくというような作業が必要だと思うのです。私は和紙が好きだった訳でもなければ、アーティストやデザイナーになりたいと思った訳でも、経営者になりたいと思った訳でもありません。職人さん達の尊い技、物作りの営み自体を未来にきちんと繋いでいきたいと思ったわけです。そうしなければ、日本の物作りがどうなっていくのだろうか、という問題意識から着手しています。

山口 つまり職人の地位をこれからも上げて、伝統技能、伝統工芸の価値を上げていくということを考えた時に、一番必要になるのは、職人さんが生み出す物を時代の文脈に合わせて、ある種きちんと売れる物にしてあげる、繋ぎ目のような人材が必要だ、と。そういうプロデューサーシップを持ってビジネスの事もある程度出来ながら、一方で伝統産業の持っているある種の頑なさも愛して、尊敬する、この両方ができる人じゃないといけないということですね。

堀木 伝統産業は本当に面白いですし、物を一から生み出す仕事というのは本当に楽しいものです。伝統産業は辛くて、しんどい、同じ事をずっとやらなければいけない、というイメージは絶対持たないでいただきたいと思っています。本当に未来に伝えなければいけないのは、物を作るという背景にある、日本人の精神性であったり、美学なのです。是非そこにも注目していただいて、今の時代を生きている私達が、未来に繋いでいける物はなにかということを皆さんも一緒に考えていただけたら嬉しいです。(了)