六本木アートカレッジ スペシャル1Day 2021
セミナーレポート
「六本木アートカレッジ2021」の3時間目は、妙心寺退蔵院副住職の松山大耕氏をお迎えし、ディレクターの漫画家ヤマザキマリ氏とともに、心の在り方をめぐる対談をしていただきました。多くの人が閉塞感や孤独と向き合うコロナ禍において、改めて注目されている「宗教」の役目、そしてその根本にある「心の平安」とは何か。世界をめぐり、多くの人と言葉を交わしてきた両氏のお話は、子供時代の意外な共通点から、宗教の歴史と本質に至るまで、多岐にわたりました。
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漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京都出身。
84年に渡伊、フィレンツェ国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。その後エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在イタリア在住。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞 受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。
著書に『スティーブ・ジョブス』(ワルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『たちどまって考える』など。
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<経歴>
1978 年京都市生まれ。2003年東京大学大学院 農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2007年より退蔵院副住職。日本文化の発信・交流が高く評価され、2009年観光庁Visit Japan大使に任命される。また、2011年より京都市「京都観光おもてなし大使」。2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出され、同年より「日米リーダーシッププログラム」フェローに就任。2018年より米・スタンフォード大客員講師。2019年文化庁長官表彰(文化庁)、重光賞(ボストン日本協会)受賞。
2011年には、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見、2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談し、世界のさまざまな宗教家・リーダーと交流。また、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席するなど、世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。
<著書>
『大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~』(世界文化社、2014年)
『京都、禅の庭めぐり』(PHP、2016年)
『ビジネスZEN入門』(講談社新書、2016年)
<講演実績>
国内外のさまざまな企業や組織、国際会議で講演実績がある(日本語・英語にて)。シアトルのMicrosoft本社,Yahoo,DocomoといったIT・通信系企業、三菱東京UFJ銀行,みずほ銀行,野村證券,Fidelity, Barclaysなどの国内・外資系金融機関、G8やIMF年次総会をはじめとする国際会議、MIT、スタンフォード大学,ワシントン州立大学,東京大学,京都大学,など大学での講義、TED x Kyotoでのプレゼンなど、幅広く講演活動を行っている。
講題としては、「禅と経営~世界のリーダーはなぜ禅に惹かれるのか~」「大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~」「コロナの時代を生きる~先人の経験に学ぶ~」「日本人の死生観~どう生きてどう逝くか~」「禅と日本文化」など、宗教・観光・経済・芸術といった幅広いテーマにわたって講和を展開している。
松山
では初めに、簡単に私の居ります妙心寺のご案内をいたします。妙心寺は今から650年ほど前に創建された臨済宗の総本山で、全国には3400の末寺があります。境内には塔頭と呼ばれる小さなお寺が46ありまして、面積は約10万坪、東京ドーム8個分が入る非常に大きなお寺です。その一角にございます退蔵院は600年ほど前、1404年に妙心寺の第3代目の和尚様によって創建されました。
私は長男で後継ぎとして育てられましたが、自分自身はお坊さんになりたくありませんでした。というのも、自分がどれほど努力しても将来が勝手に決まっているということが嫌だったのです。そういう思いもあり、両親の方針もありまして、カトリックの男子校に行きました。転機となったのは、中学三年生の時です。たまたまテレビでアラスカの大変美しい映像を見まして、「ここに行きたい!」と思い、当時インターネットも携帯も無い時代に飛行機のチケットだけ買って、ツアーにも入らず1人でアラスカを10日間旅しました。
ヤマザキ
私も14歳で1ヶ月間ヨーロッパを旅しました。14、15歳の時分に1人で、頼れる人もいない状況で旅するというのは、結構人生を変えるものですよね。
松山
そうですね。旅をして、学んだ事が2つありました。1つは英語くらい喋れないと話にならないという事。もう1つは人生はなんとかなるという事でした。高校時代もそのままカトリックの男子校に通ったのですが、高校3年の受験直前、忙しい時期に宗教の時間がありました。奄美大島出身の当時75歳ぐらいの神父さんが担当する、「君たちの質問になんでも答えます」といった、とてもシンプルな授業でした。ある時、同級生が「神父さんは、いつも神様、神様と仰るけれど、私達は神様の存在が分からない。だから私達の前で神様の存在を証明してくれ」と言いました。それに対して神父さんは「神様というのは、人知を超えた存在だから神なのだ。だから神は人間によって証明されてはならない」と。それでビシッとクラス中が静まり返りました。どんな質問にも即座に的を射た答えで返す。宗教家というのはこういう人なんだ、とその神父さんのお姿を見て感じました。勿論キリスト教の教え自体も大事ですが、私にとってはその神父さんという存在、人格に感激をしまして、自分の宗教家の原点はそのお姿かなと思っています。
松山
それから大学時代、長野県の飯山という雪深い所で、半年間住み込みで研究する機会がありました。その近くのお寺に、将来、私の心の師匠となるお坊さんがいらっしたのですが、普通、お寺というものはお葬式をしたり、法事をしてお布施を頂戴してお寺を守るわけです。ところが、そのお寺は檀家さんが1軒も無い、拝観もやっていないのです。托鉢だけをしていました。
ヤマザキ
小乗仏教のようなものではなく、托鉢をして寄付だけで生きていらっしゃった?
松山
そうです。その町に住む詩人の方が和尚さんの詩を書いていらっしゃったのですが、自分の息子ぐらいの年齢の和尚さんが、雨の日も嵐の日も雪の日も毎日毎日托鉢をされると、その托鉢をされる声がこの町に響くたび安心が広がる、と。私はそれまでお坊さんというものは儀式が仕事だと思っていたのですが、究極的には安心を与えることが仕事であると直感しました。こういう方がいらっしゃるのなら間違いはない、チャレンジする価値があると思いまして、お坊さんの道に入りました。
私も普段はお掃除をしたり、お坊さんらしい事もいたしますが、キリスト教の学校で学んだという経験を活かして、ルクセンブルクの修道院に行って交流させていただいたり、イスラム教の国でモスクに行ったり、ベネディクト16世やダライ・ラマ14世にお会いさせていただいたりもしました。3年ほど前からは、スタンフォードの客員講師をしておりますが、今年は精進料理の授業をいたしました。今から800年前に永平寺を作られた道元和尚さんが料理の教科書を書いていらっしゃって、それを読みながら、精進料理とベジタリアンの違いを学びます。
その上で、アメリカのどこにいてもAmazonで買える食材だけを使い、精進料理を作って、皆に同じようにやらせて、最後には自分でオリジナルの精進料理を作ってプレゼンしてもらうという授業です。精進料理はお肉、お魚、牛乳、強い匂いのするお野菜も使えません。五味、五法、五色のような様々なルールもあります。その規則の中で料理をすると、非常にクリエイティブな美味しい物が生まれるのです。
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この先の内容は・・・
ヤマザキ
まず大耕さんのご自身の事を改めてお話いただけますでしょうか。カトリックの学校に通っていらっしゃったにもかかわらず仏教の道に入られたこと、ほかにも大変興味深いご経験を積み重ねられてきたと伺っておりますが。