六本木アートカレッジ スペシャル1Day 2021
セミナーレポート

音楽の可能性を考える
やっぱり「生で聴きたい!」の理由

Overview

「六本木アートカレッジ2021」の6時間目はミュージシャンの大貫妙子氏をお迎えし、「アートカレッジ2021」ディレクターである漫画家ヤマザキマリ氏とともに、「音楽の可能性を考える、やっぱり生で聴きたい理由」をテーマにお話いただきました。コロナ禍において数多くのライブが中止やオンライン配信をよぎなくされる今、音楽、そして音楽と人のかかわりはどのように変わっていくのか。常に音楽とともに生きてきたと語る両氏の対談は、ミュージシャンの苦労から、コミュニケーションの力に至るまで、音楽の可能性に満ち満ちたものとなりました。

ヤマザキマリ
漫画家・文筆家

+ Profile

漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。1967年東京都出身。
84年に渡伊、フィレンツェ国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。その後エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在イタリア在住。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞 受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。
著書に『スティーブ・ジョブス』(ワルター・アイザックソン原作)『プリニウス』(とり・みきと共著)『オリンピア・キュクロス』『国境のない生き方』『ヴィオラ母さん』『たちどまって考える』など。

大貫妙子
ミュージシャン

+ Profile

東京生まれ。
1973 年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。75 年に日本初の都会的ポップスの名盤『ソングス』をリリースするも76 年解散。同年『グレイ・スカイズ』でソロ・デビュー。以来、現在までに27 枚のオリジナル・アルバムをリリース。 日本のポップ・ミュージックにおける女性シンガー&ソング・ライターの草分けのひとり。その独自の美意識に基づく繊細な音楽世界、飾らない透明な歌声で、多くの人を魅了している。
CM・映画音楽関連も多く、98 年の映画 「東京日和」の音楽プロデュース(監督:竹中直人/第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞)など数多くのオリジナルサウンドトラックを手がけている。
またエッセイ集『私の暮らしかた』で綴られた生き方が世代を問わず共感を呼んでいる。
2015年にはバンドネオン奏者・小松亮太とのアルバム「Tint」をリリースし、第 57 回輝く日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。
2017年から現在に至るまで、ソロ・デビューアルバム以降のオリジナル・アルバムをアナログレコードとして順次再リリース。2020年11月からはEMI在籍中のアルバムを初アナログ化。
ライブ活動は、6名のメンバーによるバンドライブ活動のほか、Strings quartettoを中心とした《Pure Acousutic》コンサートを行っている。
2020年12月には4年ぶり2度目となるシンフォニック・コンサートを開催をした。

大貫妙子オフィシャルサイト http://onukitaeko.jp

没頭する、という音楽の特質

ヤマザキ

私は子供の頃から大貫妙子さんのファンでした。元々クラシック音楽の環境の中にいたこともあり、一般的な子供たちが聞く曲には関心がなかったのですが、ある日とある偶然からシュガーベイブを聴いて、この人達は一体何者なんだ?と衝撃を受けたのを覚えています。その後、大貫さんの曲を聴きながらイメージで絵を描いてみたしたことも何度かありました。このコロナ禍で家にこもって仕事をする中、改めて音楽は自分と切り離せないものだなと感じているのですが、そんな中、ミュージシャンの方々はライブなどの発信する機会に規制や制限がかけられてしまっている。このことについて色々とお話を伺いたいなと思っています。まずは大貫さんから音楽への想いと言いますか、そもそも音楽をやろうと思った理由などを伺いたいのですが。

大貫

小学校低学年の時に家にステレオがありまして、そこで母が聞いていたクラシックとか、父は戦時中を生きた人ですから軍歌とか、一日中何かがかかっていて、そのステレオの前から離れずにいるような子供でした。それだけ音楽が好きだったら、ということで小学生の頃はピアノを習い、中学では女の子だけでフォークバンドを組みました。高校でもバンドを組んで、美大予備校に行っていたころも弾き語りのバイトをして、その間に偶然プロの方と出会う、そんな成り行きで今に至っています。好きなアーティストがいると、とにかく1カ月くらいそればっかり聞いています。狭く集中的に、何度も。世の中に流行っている音楽があっても、興味が無ければ耳に入ってこないです。でも、例えば車を運転していて、ラジオから流れてくる、どうしようもなく気になる曲が掛かって、「わ〜、これ好きだ〜!」それでパリに行ってしまったこともあります。

ヤマザキ

車の中で掛かっていた音楽をきっかけに、そのままパリに?

大貫

すごく好きだな、と思ってしまうと、のめり込む。極端なタイプですかね。
あくまで音楽に関してですけれど。

ヤマザキ

私は旅行など価値観が変わる所に行くと、入ってくる情報を取り込むのに必死で、自分に潜在しているものを見直したり掘り下げることがおざなりになってしまうのですが、このコロナ禍で、同じ場所にずっと居た時、何をしたらこの狭窄的な圧迫感から脱出できるかと考え、たどり着いたものが音楽でした。音楽には人を支える力があって、実際多くの人がそれを求めている。大貫さんの場合は沢山のファンがいて、大貫さんのサウンドを待っている方がいらっしゃるわけですが、ご自身が音楽を生み出すということに対する意味など、どうお考えですか?

大貫

自分が最も好きなことを職業としていられことは、本当に幸せだと思っています。
その意味は・・・すみません、考えてないです。
‘80年代は特に、年に1枚アルバムを出していたので、作詞作曲してレコーディングして、プロモーションをして、ツアーに出て!一年が終わる、の繰り返しで。毎年アルバムを出し続けるなんて、海外ではほとんど無いです。日本って、アーティストさえ消費させる国なのか、と思いましたね。振り返ればですが。でも、やってこられたのは、若かったから(笑)

私は、「つるむ」とか「群れる」とかが苦手で、仕事以外はいつも単独行動なんです。映画もコンサートに行くのも、ひとり。そんな私のファンは、どんな方たちなのだろうと思い、あるコンサートの時、「今日、お一人でいらした方、手をあげて頂けます?」と聞いたら。なんと、9割の方が手を上げたんです。その時、私を支えて下さっているファンは、自分の鏡でもあるんだなとわかって、その方たちのために変わらず丁寧に音楽を創り続けようと強く思いました。

音楽制作の裏側にある「計らい」

ヤマザキ

群れるのは私も子供の頃から不得手で、自分は群生の生き物とは違う生態なんだと思っていたところがありました。だからコンサートにみえるファンの方同様、群れない大貫さんの群れない音にはまったのかもしれません。でも、消費的扱いを受ける仕事だという自覚を持っても音楽を続けていらっしゃったということは、音楽はやはり大貫さんに合っている仕事ということなのでしょうね。

大貫

そうですね。私は100%と言ってもいいくらい、メロディーが先なんです。アイデアを伝えてアレンジャーに渡し、レコーディングに入る。仮歌はラララで入れておいて、スタジオで試行錯誤しながら、基本的なトラックを作ってしまう、それをひたすら聴きながら、言葉(歌詞)が浮かんでくるのを待つ、っていう。ただただ、聴いている。と、水の底から泡が浮かんでくるように、言葉がポッとやって来る。それが浮かんできたら、あとは出来たようなものです。ですから、言葉を呼ぶような音作り、編曲ですね。それにいちばん体力を使います。どういう風にも出来るわけですから。

ヤマザキ

いかようにでもできますからね。限界が無い。

大貫

70年〜80年代は坂本龍一さんにアレンジをお願いしていた曲が多いですね。曲をそのままポッンと渡してしまうと彼の解釈になってしまうので、写真集とか映画とか、あとは音のイメージを伝えたりしながら。ずっと側におとなしく張り付いてて聴きながら、ん〜その方向は少し違うかも、と思うこともあるのですが、彼も音に没頭しているわけで、そういう時には声が掛けられない。

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この先の内容は・・・

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