ニューヨーク市出身。専門は江戸・明治時代の文学、特に江戸中期から明治の漢文学、芸術、思想などに関する研究を行う。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組出演など、さまざまなメディアで活躍中。
1984年京都府生れ。2001年『インストール』で文藝賞受賞。早稲田大学在学中の04年『蹴りたい背中』で芥川賞受賞。12年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞、20年『生のみ生のままで』で島清恋愛文学賞受賞。ほかの著書に『ひらいて』『夢を与える』『勝手にふるえてろ』『憤死』『大地のゲーム』『手のひらの京』『私をくいとめて』『意識のリボン』『オーラの発表会』などがある。
六本木アートカレッジSPECIAL 1DAYの3時間目は、作家の綿矢りさ氏をお招きし、「物語を『書く』ということ」をテーマにお話しいただきました。日常に潜む痛みを、時に鋭く克明に、時に温かく繊細に描き出す綿矢氏。21年にはコロナ禍の日常をつづったエッセイを出版なさっています。非日常が日常となったコロナ以後の創作活動や、そこから見えてくる「書く」という行為の本質について、日本文学研究者のキャンベル氏とともに対談いただきました。
綿矢
そうですね、なつかしいです。初めてキャンベルさんを見たとき、とてもお洒落な方だなと思いました。今ではあんなに大人数で、マスクも無しに話せませんし。
キャンベル
小説を書く方というのは、結構な時間、一人の静かな空間を必要としますよね。だからこそ取材をしたり、人の声を聞いて外の空気を取り入れるといった話を友人の小説家たちから聞くのですが、綿矢さんはどうでしょうか? この二年間、コロナで行動も制限されていたと思いますが、書く行為というか、場というのは何か変わりましたか?
綿矢
私は元々部屋で書いていたので、書いている時はそんなに変わらないと思います。ただ、ロバートさんとお話しできたような場所に行って遊んだりとか、そういった「書く以外」の楽しみは確かに減りましたね。生活のなかでの人との触れ合いが小説を書く刺激にもなるので、気づいていないだけで変わったところも多そうです。
キャンベル
これから先、静かだけれど引かない波のような、この感染症というものが大きくなったり小さくなったりする私たちの日々が、何か小説に影を落としたり、あるいはエネルギーを与えたりしますでしょうか。
綿矢
小説の題材としては、コロナが存在する社会はとても書きごたえのあるものだと思っています。それは、感染するがゆえに、人と人が会うということを考えるからです。また見えないものだからこそ、映像よりも言葉の方が届きやすいのかな、と。私は恋愛をテーマにしたものが多いのですが、恋愛はコロナがあるとないとでは、やはり変わってきます。他の方が書かれるコロナの小説やエッセイを読んでみても、すごく生き生きしているといいますか、文章と社会の荒波との相性は非常に良いなと思っています。皮肉っぽい場面も、自然と生まれてしまうし。
キャンベル
コロナというと、隔離であるとか、病死であるとか、あるいは、最後を看取れないとか、ともかく人が引き裂かれるというとても悲しい事態がついて回りますね。ただ一方で、恋愛といった視点で考えると、世帯であったり、部屋であったり、そういう一つのユニットが求心力を持つ。その人たちの間でしか息を共有できない空間があり、うつす、うつるといった関係性は、強い結びつきという風にも捉えられます。
綿矢
人と会うのもちょっと決意がいりますからね。その中で工夫してどうにかして特別な関係性を築いていくとか、相手のことを思いやりながらも、自分の会いたい気持ちを抑えたり、抑えなかったり、そういったことは映像よりも言葉の方が割と届きやすい分野なのかなと思います。小説であれば、その時主人公や登場人物の考え、微妙な表情を書き込めます。例えば、コロナをとても気にしている人もいれば、そんなに気にしてない人もいる。親しくてもそこに差があったりして、そういった心の差異は自分で書いても面白いですし、読んでも面白い。自分と同じ考え方の人が周りにどのくらいいるか、こういったことは誰しも気になるわりに、意外とわからないものですよね。小説はそういうところに寄り添うことができるものだと思っています。コロナのようなデリケートな問題は、「いや、そんなことを気にしていたら疲れてやってられないよ」というような本音を、口で言ったりすると不謹慎に聞こえてしまいますよね。でも小説という物語の中で誰かが言えば、「あ、これぐらいの考えの人は自分だけではないんだ」と素直に思える。
キャンベル
物語であるがゆえに、誰かの権益を脅かすということがない。そういった文学の特質は、こういう平常ではない時に効用があるのだと思います。今、綿矢さんが仰ったように、ある意味、他人事として読める。向こうに登場人物がいて、こっちに読者がいて、真ん中に綿矢さんの物語があるとすると、そこで心を合致させる、同期させる必要は全く無いわけですね。ですから、「こういう人はダメだ」ということを自由に言い合える土俵のようなものになる。それは戦争や貧困、災害がある時代において、文学が持つ面白さかなという風に思います。
キャンベル
ところで、綿矢さんは中学、高校時代から物語を書いていらっしゃって、高校生の時に『インストール』という小説をお書きになりました。それから、『蹴りたい背中』で2003年芥川賞を受賞されています。こちらは陸上部の高校1年生、ハツという女の子が主人公です。学校が舞台ではあるのですが、おそらく会社に置き換えても家族に置き換えても、読み替えることが出来るような物語として、20年近く前に発表された当時、感動いたしました。ちょっと無茶ぶりかもしれませんが、少し朗読していただいてもよろしいですか?
綿矢
ちょっと関西弁で訛るかもしれないんですが……。「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれるたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッツ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。」(『蹴りたい背中』より)
キャンベル
ありがとうございます。1ページ目ですね、本当に不思議な語り口と言いますか、一人称で遠いところから自分の語りを客観視している女の子。理科の時間に他の生徒が顕微鏡を使って色んなものを見ている、しかし彼女は顕微鏡を見ないで紙を千切っているんですね。それがどういうことか、色々な角度から見えるように語っている文章です。ある意味ドライに、非常に客観的に自分を捉えていて、しかし完全にこの語り手を信頼して良いかということも読者はまだ分からないような、非常に不思議な入り口を書かれていると思います。自分が何をしているかを考えながら行動していて、それがその時に求められていることとは少し違うことをやっている。ある種の逸脱の描写を小説の冒頭に置くというのは、どういう思いから生まれたのか、教えていただけますでしょうか。
綿矢
なんでしょう。ぐれるとか、成績を気にしないとか、学校自体を嫌うとかではなくて、単に友達がいない状況とはどういうものか、それを耐えることの難しさみたいなことを、当時本当に感じていました。大学生の時に書いたのですが、私は高校でも周りに友達がいないと不安になるタイプでした。その一方で、一人で凛と教室の中に存在している人もいて、そういう人はどういうことを考えたりしているのかな、とか、私とは全然違う人格なのかなとか、それとも同じようなこと考えているのかな、とか、そういったことを思いながら書きました。
キャンベル
綿矢さんは対角線上にありそうな人が気になったり、探求したくなるということでしょうか。このハツにご自身のことが投影されているかどうかは、僕はそれほど関心がある訳ではありませんし、そういう風に考えながら読んだわけではないのですが。
綿矢
そうですね。主人公は自分と性格が違っていて、ちょっと憧れるような人が多いです。自分が高校生の時は一人でトイレも行けなかったようなタイプだったので、強がっていてもハツみたいに一人で居られること、また恋愛や普通の友人関係ではないやり方で異性と友達になって近付いていくというシチュエーションにも憧れていました。それが書いていて楽しかったということはあります。
キャンベル
綿矢さんはどういう時に書くのでしょうか。絶えずメモを作って、それを眺めながら物語が見えるような人もいれば、私の知人で、水槽にたとえて、水槽に魚とか石とか植物を入れて、ある辺りまで溜まってくると、物語をそこで書き始めるという人も居ます。別の知人は、真ん中あたりまではなんとなく見えるけれど、結末は全く分からないまま書き始めるそうです。綿矢さんが書きたくなる瞬間というのは、どういう状態でしょうか。
綿矢
私の場合も、書き始めた時は最後まではほとんど見えておらず、大筋が自分でも分かりかけた頃にフレーズが浮かんできます。寝る前やお風呂に入っている時に、「その時、何々は何々するのだった」というものがバーッと出てくるので、それをスマホのメモ帳に保存して、それで一週間ぐらい経ったら結構溜まっているので、それを見て「ああ、こういう話か」と思って繋げて書く、というような感じです。
キャンベル
寝かせることで、ひらめいたと言いますか、書き留めたものが変質して、それが少し物語に見えたりすることがあるのでしょうか。
綿矢
そうですね。全体が一気に思い浮かぶのではなくて、頭に語りかけられるようにワンフレーズずつ浮かんでくるので、自分なりの謎解きというか、解釈のようなものになります。「主人公はこういうことを考えて、こういうことをやりたいのかな?」と、その時に集めたスマホのメモ帳のフレーズを見て、面を作っていくような。ただ、その面を不自然に「まあ、こういうことだろう」と杜撰(ずさん)に作ってしまうと、話が長引けば長引くほど粗が出て、歪みが出てきて、自分で処理しきれなくなるので、その面を作る時は割と丁寧に、邪魔くさくても丁寧にやっていくということを心掛けています。
キャンベル
綿矢さんの近作、「生のみ生のままで」という作品がありまして、これを読ませていただきました。逢衣という若い女性と、彩夏という女性が、それぞれボーイフレンドがいながら、恋に落ちて同棲を始めるというお話です。最後の方には、片方が病気になって介護をするというようなことがあって、谷崎潤一郎の『春琴抄』の世界に似ているような気もします。人を愛することの苦しさや、我慢をすること。この物語の中では7年くらいの間があって、再会をする物語でもあるのですが、綿矢さんが作家として新しい境地を拓こうとしているなという風に思いました。
綿矢
そうですね。恋愛小説というジャンルでどれだけのびのびと書いていくことができるか挑戦しています。『春琴抄』で描かれている、愛情なのか子弟関係なのかというテーマは、読んだ時からずっと頭に残っています。他の谷崎作品を読んでいても、甲斐甲斐しいというレベルではない、ある種自己犠牲の精神が描かれていて、多分にフェチズム的なことも入っているのかもしれませんが、それも非常に突き刺さりました。そういった影響が今でも自分の中に残っているから、読んでいただいた最近の作品の中にも、モチーフとして入っているのかな、と思いました。
キャンベル
では、出来るだけインタラクティブなお話にしていきたいので、ここで参加者から質問をいただきます。まず一つ目は、「作品のためにどのような取材をしますか? 印象に残っている取材はありますか?」という質問です。
綿矢
経理の女の人が出てくる小説を書いていた時に、文藝春秋社の経理の方にお話を伺って、その時のことは本当に印象に残っています。彼女の胸元に赤い付箋が付いていて、それは彼女が取り忘れたものだったのですが、それを見てとても素敵だと思って、小説に使ったりしました。全然予想もしていなかったことが、小説を書く助けになるときが時々ありますね。
キャンベル
次に、二人への質問とのことで、「子供を読書好きにさせるにはどうしたら良いでしょうか?」と。まず、綿矢さんいかがでしょう。
綿矢
私の息子は図鑑のようなものは好きなのですが、物語が全然好きではありません。私が絵本を読み聞かせても、物語が湿っぽければ湿っぽいほど聞いてくれませんね。逆に、明るいヒーローものならとても好きなのですが。そういう意味で、本人が好きなタイプの本を見つけて読んであげたら、それが好きになると思います。
キャンベル
僕は最近、『PINK IS FOR BOYS』つまり『ピンクは男の子の色』という絵本を日本語訳にしたのですが、子供を育てている友達に渡していたら、「置くだけで結構読む」と。読み聞かせだけではなくて、置いていつでも見えるようにしておくと、「お母さん、これなんて書いてあるの?」とか「お父さん、これこう書いてあるけど、ちょっとおかしいんじゃない?」などと質問攻めにあったりするという。これもまた一つの誘導になるかもしれません。
綿矢
効果的な作戦ですね。常に目に入るものに人間は興味を持つと『羊たちの沈黙』でレクター博士も言っていたので、子ども自身に絵本の存在感を気づかせるのは面白いですね。
キャンベル
ということで、最後になりますが、今日はコロナのことを少しお話しましたけれども、今、東ヨーロッパでも大変な戦争状態が起きています。これからどうなるか分かりませんけれども、今まで私たちが生きている間に存在した常識をひっくり返すようなことが、既にこの一か月の間に起きているわけです。小説に、そういったときの即戦力であるとか、応用力を求めるわけではもちろんないのですが、それでも、色んな意味で孤立しがちな私たちの背中を少し押してくれたり、あるいは泣かせてくれたり、笑わせてくれたり、小説はそういう力がとても強いものだと思います。綿矢さんもこれからまた、いろいろな小説、エッセイを書かれると思いますが、私も一愛読者として伴走して行きたいなと思っています。本日はありがとうございました。
綿矢
私もコロナで人とあんまり話せていなかったので、この機会にお話しできて本当に嬉しいなと思っています。ありがとうございました。
キャンベル
綿矢さん、私たちが出会うのはこれで二回目、ですから再会ということになりますね。前回は、小説家や翻訳者、編集者といった方々とワインを飲みながら、目的もなく語り合う空間でお会いいたしました。おそらく三、四年前だと思うのですが、記録もされず、成果も求められず、しかし人々が集まって繋がる、そういった対面による出会いは、今となってはますます大事であるように感じられますね。