六本木アートカレッジ2019 Vol.1
セミナーレポート

意味の見つけ方、意味の作り方

深澤直人
プロダクトデザイナー
Profile

卓越した造形美とシンプルに徹したデザインで、国際的な企業のデザインを多数手がける。電子精密機器から家具、インテリア、建築に至るまで手がけるデザインの領域は幅広く多岐に渡る。デザインのみならず、その思想や表現などには国や領域を超えて高い評価を得ている。英国王室芸術協会の称号を授与されるなど受賞歴多数。2018年、「イサム・ノグチ賞」を受賞。多摩美術大学教授。日本民藝館館長。

山口周
独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
Profile

1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。

Overview

2019年度シリーズディレクターに就任した独立研究家・著作家の山口周氏と世界的プロダクトデザイナー・深澤直人氏を迎えて開催された「六本木アートカレッジ2019」第1回セミナー。
まず山口氏が、「“役に立つ”から“意味がある”へ」という年間テーマに込めた思いについて語るところからスタートしました。続いて、深澤氏から、山口氏の問題意識へのヒントになるような、意味や美意識についてのキーワードが提示され、その後、お二人による示唆に富む対談へと展開していきます。
モノや情報が溢れ、経済社会の中枢にある価値が変わろうとする今、意味を考えることは、自分のビジネスも人生も問い直すきっかけになるのではないか。そんな期待感に包まれた、記念すべき第1回のレポートをどうぞご覧ください。

Presentation“役に立つ”から
“意味がある”へ

山口周

世の中に存在している企業もモノも、そして個人も、必ず「役に立つ」ものか、「意味がある」もののどちらかではないでしょうか。役に立たず意味がないものは存在できない、と私は思っています。

「役に立つ」ものの代表格といえば、日本の産業成長を支えてきた自動車や家電製品です。グローバル化に成功した日系企業を調べる中で私が感じたのは、95%の企業は「役に立つけど意味はない」ものをつくることでグローバル競争を勝ち抜いているということでした。20世紀の日系企業は、安さ、早さ、便利さを併せ持つ、役に立つものをつくる力があったのです。

ところが、「役に立つ」ものというのは、もっと安くて役に立つものが出てくると簡単に代替され、役に立たないものになってしまう。そして、21世紀に入り、「役に立つ」ものは世界中に溢れるようになりました。だからこそ、今目指すべきものは、「意味がある」ものなんです。

では、「役に立たないけど意味がある」ものとは何でしょうか。例えば、人形やぬいぐるみ。他人にとってはただの人形も、特定の個人にとっては忘れがたい思い出が詰まっていて捨てられてないというのはよくあることです。また、経済活動という側面においては何も生産しない赤ちゃんも、家族やその周りにいるすべての人を幸せな気持ちにするかけがえのない存在ですよね。どちらも誰かにとって特別な意味があり、言い換えればこの世界の中で存在価値が与えられたものなのです。

そして今、私が注目しているのは、意味をつくることが大きな経済価値につながっていくということです。意味があることが、消費に直結する。そう考えると、もっとも大きなベンチマークとなる学ぶべき対象が、アートでありデザインではないでしょうか。今年度の六本木アートカレッジでは、これからの日本社会でアート的な価値の出し方をどのようにつくり出していくのかということを追求していきたいと思っています。

Presentation意味は五感で感じる、自明のもの

深澤直人

僕の考える「意味」とは、相手との関係によって、自ら立ち現れるもの。固定化されているものではないのです。そこで、外部環境から感じる意味と、無意識が感じ取る意味の2種類について、「Affordance(アフォーダンス)」と「Intuitive thought(インテュイティブ・ソート)」という2つのキーワードを通してご紹介したいと思います。

アフォーダンスは、ジェームス・J・ギブソンという人がつくった造語で、環境が動物に対して与える意味のことです。外部環境に封入された無限の意味を、自分がどう捉えているのか、と言い換えられます。たとえば、牛乳パックを捨てようとしたときに、たまたまパックがぴったり置けるサイズの鉄のフェンスの柱があったとしたら、そこに手が引き寄せられてパックを置いてしまうでしょう。これがアフォーダンスです。その柱は、牛乳パックを捨てる場所としてもっともふさわしい場所だということが意味づけられているわけです。

私たち人間は、アフォーダンスの海の中で生きています。意味は街や家のあらゆるところにあって、各人はそれをうまく自分の中で活用して、価値を得ようとしている。でも、かなり意識していないと感じ取ることができないので、ほとんどの人は日常生活の中でアフォーダンスのことを実感しません。だから、牛乳パックを捨てた人もあまりわかっていなくて、ただ置いているという感覚でしょう。

次のキーワードは、インテュイティブ・ソート。「直感」という意味です。直感は、知らなかったことに気がつくことではなく、自分自身が知っていたことに気がつくということです。より正確に言うと、「“気付いていたことに気づいてなかった”ということを改めて知った」ということで、難しく聞こえるかもしれませんが、デザインを考えるうえで重要な概念です。なぜなら、このおかげで、デザインの良し悪しの判断ができるからです。デザインを考えるチームの中で、みんなが見えないセンサーの中で感じ取っている「良い」があるはずだという前提がなければ、良し悪しの判断はつきません。

無意識で「良い」と感じている世界に上陸できると、本当に無人島に上陸したぐらいきれいなところに行けます。そういう幸せの瞬間を、みんなあまり知らないかもしれません。幸せとは、自分の中のセンサーが立ち上がった瞬間のことです。自分が知っていたことを知ることと幸せの瞬間は、とてもよく似ている気がしますね。

全員が共有するグラウンドを前提にすれば、クリエイションはいくらでもできる

深澤 たとえば、誰かがデザインを褒める時、「僕もそう思ってたんだよ」「これが欲しかったんだよ」とよく言います。その人は、デザインを見る前はそんなこと言ってなかったはずなんだけど、きまってそのセリフが出てくる。これは、つまり直感で、実は知っていたということじゃないかと思います。

だから、クリエイティブを、存在しないものを生みだす能力と定義するのは間違いなんです。人間の機能は誰もが同じで、ある人がクリエイティブという機能を持っていて、ある人が持っていないということではありません。全員が共有しているグラウンドがあることを前提にすれば、クリエイションはいくらでもできます。

山口 なるほど。今、ものすごく重要なことをお話された気がします。誰もが普遍的なセンスを持っているから、同じ状況になった時に誰もが感じられるはずだという話ですよね。そして、みんなが素敵だと思うもの、意味を見つけられるものには、普遍性があるということですよね。

「ここら辺がちょうどいいな」と思う感覚は誰でも持っている

山口 デザイナーとして手を動かすことや造形の技術というのはまさにスキルで、あとからトレーニングすればいくらでもできるものだと思います。一方、内側にあるセンスを、深澤さんと同じレベルで作動させるにはどうしたらいいのでしょうか?

深澤 驕って言っているのではなく、これはなかなか難しいですね。と言うのも、僕は朝食を食べながら、このテーブルの素材は自分を幸せにしているだろうか、といつも問い続けているような人間です。そうしないと、どういうテーブルトップにしていいかわからなくて、デザインできないからです。一方で、目玉焼きを食べながら、なんで今日の目玉焼きの黄身は真ん中にこなかったんだろうと思って不幸を感じる人間でもあります。そして、目玉焼きの黄身を真ん中にもっていきたいということを、きっとみんなも感じているだろうなと思って、幸せに思える人間です。どうでもいいことだと思うかもしれませんけど、じつはとんでもないことです。こういうことが、普遍的な意味の見つけ方、作り方につながると思っています。

プロのデザイナーとは、黄身がどこにあれば良いのかを正確に言える人です。ぴったり真ん中に黄身がきた目玉焼きはつまらないという感覚を持ちながら、じゃあ何ミリずれたらいいのと言われたときに、1.235ミリと回答できるのがプロ。でも、そのずれを「ここら辺がちょうどいいな」と思う感覚やセンサーは、誰でも持っているということなんです。

内側のセンスを積極的に捉えようとすると、日々は悟りの連続になる

山口 深澤さんが以前のインタビューで「良し悪しが分かるセンスは誰でも持っているから、センスを鍛えるという考え方自体をやめたほうがいいんじゃないか」と話していました。あの話がとても示唆深いと思うんですよね。

深澤 みんな、いいことを探すだけがセンスだと思っていますよね。でも、悪いことで引っかかることを探すのもセンスなんです。いいものばかりを見ているとどうしても真似になるし、クリエイティビティがなくなります。それよりもみんなが「違和感」を感じていることを探したほうがいい。たとえば、爪にできた「ささくれ」が気になって、ずっと触っていた経験が誰でもあるでしょう。こういう「違和感」を見つけて整えてやることが、デザインの仕事なんですよ。

僕はそれを職業としてできるだけ積極的に捉えようとしています。そうすると、また発見した、また達観した、また悟った、の連続なんです。悟りって死ぬ前に人生はこうだったってわかるものじゃなくて、目玉焼きの黄身がどうして真ん中にこないのかということをいつも考えて、気にしていることなんじゃないかと思います。

山口 ただボーッと日常生活を送っているだけと、私たちの内側のセンスを感じるのは難しいかもしれません。常に、好奇心や問いを持ち続けることが大切で、自分のなかにどういう感情が湧きたっているのかを知ろうとすることが、意味を見つけ、意味をつくるうえでの出発点かもしれません。

参加者との質疑応答

Q. センスは鍛えるものではないという話がありましたが、これは専門家に聞いたほうがいいと思うことがあれば教えていただきたいです。例えば、美術館でアート作品を丁寧に鑑賞するとき、何をどう見ればいいのでしょうか。

深澤 美術館で「これかー!」って言いながら、目をキョロキョロさせて絵を見ている人はほとんどいないですよね。皆さん、その絵を見ているようで、じつはその絵には焦点が合っておらず、その美しい絵に魅せられて、自分の中に取り込んでクリエイティブしている状態です。感じるっていうのは、もっと違う次元に自分の感覚が飛んでいることです。だから、誰かに聞くというよりは、自分がどういうふうにそれに向かっているのかということを反芻するしかありません。自分がセンシングしているんだから、誰かに聞くより自分に聞くのがいちばんいいということです。ただ、その自分への聞き方がなかなかわからないっていうのが、今日の話の難しいところです。

Q. 忙しいときは、美しいものを見ても感動する心が弱っているなと思うことがあります。クリエイティビティと仕事は両立できるものなんでしょうか。

深澤 忙しいことと心が病んでることは似ています。自分があまり乗っていない状態ではセンサー自体を立てようとしないので、感動することがどんどん少なくなっていきます。時差ぼけでハワイに降りた感じに近いですね。すごく良い天気なのになんでいいと思えないんだろう、みたいな。でも調子がいい時に行くと「ああ、ハワイってすばらしい!」って思う。だからある意味で、クリエイティビティが発せされるためには、心身ともにヘルシーでないと難しいということは体験的に思っています。