1976年東京都生まれ。2001年三宅デザイン事務所に入社し、A-POCの企画チームに参加。その後ISSEY MIYAKEの企画チームに加わり、2011年から19年までISSEY MIYAKEのデザイナーを務めた。2021年3月にスタートした新ブランドA-POC ABLE ISSEY MIYAKEでは、エキスパートを集めたチームを率いて、A-POCの更なる研究開発に取り組む。
ニューヨーク市出身。専門は江戸・明治時代の文学、特に江戸中期から明治の漢文学、芸術、思想などに関する研究を行う。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組出演など、さまざまなメディアで活躍中。
アカデミーヒルズが企画するオンラインセミナー六本木アートカレッジVOL.1は「本当の自分を表現する服」というテーマで、ディレクターのロバート キャンベル氏と衣服デザイナーの宮前義之氏に対談いただきました。宮前氏は35歳という若さでISSEY MIYAKEの第四代デザイナーに就任し、今年、新ブランドA-POC ABLE ISSEY MIYAKEを立ち上げました。対談では、「衣」の可能性、そして衣服と人間の新たな関係を見つめなおす様々な話題が展開されました。
宮前
今回、衣食住の衣というテーマで声を掛けていただいたということが、まず非常にうれしかったです。私は今イッセイ ミヤケという会社で仕事をしているのですが、三宅一生が服を作るうえで大切にしてきたのは「衣服」という言葉です。衣というのは生活に一番身近なもの。生活の中に寄り添いながらどのように新しい衣服を作り、着る人に喜びや希望を作れるかに、三宅は70年代から取組んでおりました。今回その「衣」というテーマで自分達の仕事を見ていただけたことが非常にうれしく思います。
今、自分はA-POCという仕事を中心に活動しています。これはA Piece Of Cloth、すなわち一枚の布という意味を持っています。このプロジェクトが始まった98年はデザイナーズブランドが製造から販売までやるという、業界が大きく変わり始めた年でした。その時に三宅は、いち早くコンピューターのテクノロジーを取り入れて、一体成型のような全く新しい考え方で作りはじめ、学生だった自分はそこに衝撃を受けたことを覚えています。
これはコンピューターで服を編んでいくのですが、編み機からチューブ状に服が出てきて、その服は鋏で切るとそのまま着ることができるというものです。更に言うと、たとえば長袖をカットして半袖にしたり、首のデザインを自分で変えることもできる。それまでのファッションはデザイナーが強いメッセージを発信し、着る側がそれを受け取るというものだったのですが、ここで三宅は、最終的に着る人が参加をして服が完成するという考え方を提示したわけです。
そして、作る側としても、それまではデザイナー、パタンナー、テキスタイル、全てが分業化されていたものを、糸を作る人、生地を作る人、服が作られる一連のプロセスに携わるあらゆる人達が参加して、1つの視線で同じものを作っていくようになりました。デザイナーも素材のことやプログラムを学ばなければいけませんし、その逆もあります。こういった方向性の先に、今のA-POCがあるわけです。
キャンベル
緩やかなチームの中で様々な業種に関わっている人達が、服が作られる経緯に参加するということですね。ところで、「経緯」という言葉はタテ糸(経)とヨコ糸(緯)からなっていて、実はテキスタイルの言葉ですよね。つまり、一枚の布(A Piece Of Cloth)であるA-POCというものが作られ、流通に乗るまでが、1つの経緯として、1つの連なりとしてある。これが、イッセイ ミヤケさんが90年代の後半から掘り下げられたものだということは、驚きです。
こちらから先はメルマガ登録をしていただくと、お読みいただけます。
この先の内容は・・・
キャンベル
本日は、本当の自分を表現する服とは何か、そしてコロナ禍の先にある私達の生き方、生活はどんなものか、衣食住の「衣」という観点から、宮前さんにお話を伺いたいと思います。